期待しすぎた、最低最悪の夏

 今年の夏は、僕が今までの人生で過ごした夏の中で、一番恵まれてなかったと思う。

 まず、夏休みが始まったと同時に家のエアコンが壊れた。今僕が住んでいる家は今年の4月にできたばっかりの新築の物件なのに。しかも、僕のエアコンが壊れた時の対応がわからなかったことやお盆に入ってしまったこと、最初に原因だと考えられていたところとは別のところが問題だったことなどのせいで、修理が思ったようにうまく進まなかった。
 帰省で実家に帰ったときはエアコンの効いた部屋でくつろぐことができたが、エアコンのない生活に慣れ始めていた僕は、その涼しさで逆におなかを少し壊してしまった。

 次に誕生日。今年の8月13日に20歳を迎えた僕は、今までとは違う何かしらの”動き”みたいなものに期待してしまっていたと思う。それだけではなく、普段は家族といるこの日に、今までの人生で唯一家族と離れているということから、家族以外の人に祝ってもらえるという期待がとてもあった。そして、当日、祝ってくれた2人の友人。だけど、片方のやつが主役であるはずの僕に全然スポットライトを当てず、ひたすら自分語り!ふざけるな!(笑)
 僕の20歳の誕生日に対する期待は、時間とともに泡のように消えていった。あの日の24時間は、今までの僕の誕生日で一番”静か”だったと思う。

 次に運命のような逆らえないものに出会ってしまったこと。実家に帰省してまず初めにしようと思っていたことが、母方のおじいちゃんとおばあちゃんに会うということ。しかし、それも思ったようにはいかなかった。幸い、おじいちゃんに会うことはできたが、それは普段の祖父母の家ではなく病院のベットの上だった。話の内容も病気や万が一の相続などで、僕が20歳になったことや僕の大学生活などではなかった。
 そして、おばあちゃんには会うことも叶わなかった。おばあちゃんは僕が保育園生の頃によくお迎えに来てくれたり、そのお迎えの帰り道で一緒に公園で遊んだりと、僕の幼少期の記憶の多くを占めている。そのおばあちゃんも体が弱ってることもあり、おじいちゃんの入院を機に一時的に老人ホームに入ることとなった。しかし、老人ホームの人からの要望により、おばあちゃんと僕が会うことはできなかった。
 父方のおばあちゃんには会うことができたが、年齢も年齢なので体が今までよりかは確実に弱ってきているという話を聞いた。おばあちゃんは、昔は7年前に亡くなったおじいちゃんに加えて、お父さんの兄のおじさんとその奥さん、その2人の間の4人の子どもの8人で暮らしていた。でも、その日はおじさんとおばさんが外出していたことに加えて、その4人の子どもたちも仕事などでいなかったことから、1人で僕と両親をもてなしてくれた。
 小さかった僕をお世話してくれた祖父母たちも、僕が大きくなるのと同じように年を重ねていて、静かに生きとし生きるものが与えられた最期の時に向かって進んでいっているのだなと感じた。それを感じなかった今までが異常だったのかもしれないけど、今年はそれを強く感じた。

 最悪な環境の生活の中で、少しの幸せを期待してたらそれがことごとく叶わないという救いようのない現実、さらには僕の力ではどうすることもできない不条理の連続。ここに書いた以外にもいろいろな嫌なことがあった。


 ただ、一つ言えることがあるとすれば、僕はこんな最悪の夏を乗り越え、今まで知らなかったことを学ぶことができた。困ったときにどのように行動するべきか、必要以上に自分を傷つけないように生きるにはどうすればいいか、いつか起きる現実にどのように向き合えばいいか。あとは、今後の僕がどのように生きていくかである。

 タイトルと僕に起きた事実の羅列を見ただけだったら、同情する余地もないような最悪な夏を過ごしたのだと受け取るだけだと思う。
 でも、その中にも確かに学びはあった。そして何より、暗黒なものに覆われて隠れてしまっているだけの楽しくて素敵な思い出も、数えきれないほどあった。
 そんな、一見箸にも棒にもかからない「期待しすぎた、最低最悪の夏」が、これからの僕の人生の役に立ちますように。さようなら、20歳の夏。

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