遠くへ

遠くへいきたい、という感情は、幼いころからずっと持っている。

遠くへいきたい。知らない街をぼんやりと歩きたい。けれどいまこうして遠くへと行ける立場になっても、大して出かけていない私がここにいる。

幼いころ、スナフキンになりたかった。特に理由はない。緑色が好きだからだった気もするし、なんとなくあのあり方がかっこいいと思ったからな気もする。するりとどこかへ行ける身軽さが欲しかった。キャンプ地で迎える、朝露に濡れて草の匂いがする朝を毎日のものにしてみたかった。物置から発掘して少し吹いてみたハーモニカは、3日で飽きた。

たいくつな授業の中、少し微睡みながら、行きたい場所をぼんやりと空想するのが好きだった。いつか叶えてみたいことをいくつも書き綴ったノートは、やわらかいやさしい夢で溢れていて。トルコで気球に乗ってみたい。友人と古民家を貸し切りにしてみたい。婦人俱楽部の曲を聴きながら佐渡島行きのフェリーに乗りたい。北海道を一周してみたいな。北へ、ただ北へと向かいたい。

でも、どれも結局やってない。

夢、夢は、夢であるうちがいちばん美しいのかもしれないなって思う。手に届く範囲まで近づいた今、そうした夢はやっぱり輝いているけれど、届かないと思っていた頃に比べて色あせて見えてしまう。年を重ねたから?自分がもう”子ども”ではないとわかってしまったからなのかな。10代の少女が行う冒険物語ではなくなってしまったからなのか。かなしいな。かなしいね……

夢。ぼんやりとした”こういう存在になりたい”という憧れはあれど、具体的な形をもって夢を夢として認識できたためしがない。今は、なんだろうな。私という存在が、場を持たずして場を作れたらいいなと思う。どこにいても、誰といても、そこに私がいることで、半径2メートルを私の居場所にできたらいいな。そして、大切な人にとって、私の周囲がひとつの場となればいいな、と。おかえり、を言える人になりたい。穏やかな空間を生み出せる人になりたい。傲慢な話だけどね。

やっぱり遠くに行きたい。ここではないどこか、遠くに行きたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?