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『防人』は、646年大化の改新により孝徳天皇が改新の詔で示した制度の一つです。663年【白村江の敗戦】を契機に九州沿岸の防衛のため設置、701年大宝律令の規定により運用され、任期3年、食料・武器は自弁で、大宰府に東国(関東地方)から派遣されるようになります。
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律令時代からの七道は、概ね地形的要件に基づいて区分され、西海道は大陸との外交・防衛上の重要性から大宰府が置かれて諸国を管轄しました。七道の各国の国府は、幹線官道 (駅路)で結ばれ、30里(約16キロ)ごとに駅(駅家) を置き、駅ごとに駅馬が常備されました。
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律令時代の東海道は、畿内から常陸国国府へ至る五畿七道駅路の一つでした。江戸時代には、徳川家康が整備した東海道の脇往還(矢倉沢往還)として機能しました。
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また、771年まで武蔵国は東海道に属さなかった為、相模国から鎌倉へ向かい、走水より浦賀水道を渡って房総半島富津に至り、北上して上総国府・南下して安房国府へと向かったようです。
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徴兵された『防人』は、税の免除が無いため士気が低く、九州までは係の者が同行してくれましたが、任務が終わって帰郷する際は付き添いも無く、途中で野垂れ死にする者も少なくなかったようです。
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奈良時代に成立した『万葉集』には防人のために徴用された兵や、その家族が詠んだ歌が100以上も収録されており、防人歌と総称されています。 また、東国(関東地方)の言葉が使われている事も多く、東歌ともに古代の生活様相を伝えています。
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755年防人として都筑郡から九州沿岸へ警備に出発した服部於由は、『我が行の息衝くしかば足柄の峰延ほ雲と見とと偲ばね』と残していく妻が気掛かりで歌を詠みました。
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足柄峠は、駿河国と相模国の国境の峠で、縄文時代・奈良時代・平安時代の土器片が採取されており、古くから交通の要衝であったと考えられています。
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『足柄のみ坂恐み曇り夜の我が下延を言出でつるかも』東国の任地に赴く防人たちは、この景色を見ながら都に最後の別れを告げ、故郷に残した家族・恋人を思いながら、心中を詠じていたのかも知れません。
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…そんな防人歌が届いたのか、757年以降は九州からの徴用となりました。
今回の記事は以上です。最後まで読んで頂いてありがとうございました😊
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