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指先のノック

マウスが若干壊れてしまい、左クリック1回でもれなくダブルクリックしてくれるようになったため、仕方なく買い替えた。ダブルクリックしたいときはとても便利だったが、それ以外は概ね不便だった。

今でこそ僕の指はキーボードを打ち、マウスを動かしてたまにクリックするくらいしか能がないものになり果てたが、以前は違った。

僕は就職してしばらく、具体的には8か月間ほど工場の現場にいた。

その頃、僕は1日11時間ネジ山からネジを3つ左手でつかみ取り、右手に持った電動ドライバでネジ孔に締める作業をしていた。

こう書くといかにも簡単そうに聞こえる。しかし意外とそうでもなかった。まず、ネジ山からネジを取るために、ネジ山に指先を突っ込む必要がある。これは言い換えれば、鉄の塊に指を突っ込む作業である。僕は当時、これに近い修行を知っていた。

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漫画『刃牙』で見た、空手の貫手修行だ。達人が竹の束に指を突っ込んで痛いのだから、素人がネジの山に指を突っ込んだ時の痛みたるや、推して知るべしである。1日にこれを11時間。最初の1週間は指先が痛くてたまらなかった。しかしその後は指先の皮が厚くなり、全く痛みを感じなくなったので、人の身体とは不思議である。僕はその頃、しばしば指先を撫でながら「随分男らしくなったものだ」と悦に浸った。大学生の頃は高等遊民を気取っていたので、期せずして現れた自身のワイルドさに酔いしれた。ただし、指先以外は変化がなかったので、当時の僕の男らしさは指先に集約されていたと言える。

指先がネジ山に適応した上で、次は正確にそこからネジを3つ取り、電動ドライバの先に宛がい、ネジ孔まで導かなければならない。ここで僕は思い知ったことがある。人は自分が思っているよりも、自分の指先を思い通りに動かすことができない。何も針の穴に糸を通す程の正確さを求められているわけではないのに、僕には全くできなかった。

まず、ネジを適当に掴んでみる。指先の神経を総動員させて、何個掴めたか探ってみるが、全く感覚が分からない。次に手の中のネジから1つ抽出して電動ドライバの先に宛がおうとするが、電動ドライバの先とネジの位置が合わない。さすがにネジ孔に締め付けるのは問題なかったが、僕は自分の指先にきちんと神経が通っているか疑わしくなった。まさか僕の男らしさが暴走し、指の皮が必要以上に厚くなった結果、感覚が鈍くなってしまったかと危惧したが、試しに右手でやってみても結果は同じだった。右手は利き手だというのに。

僕は元々不器用の自覚があったが、ここまで不器用だとは思っていなかった。僕の当時無駄に高かった自尊心は著しく毀損された。僕は荒んだ心を慰めるため、ひたすら指先を撫でて自分の男らしさを確かめた。

そう、僕はこの指先に見合う男にならなければならない。今こんなことを明言すれば「こいつ性差主義者か」と思われかねないが、当時はまだ大らかな時代だったので見逃してほしい。

何にせよ僕は立ち上がり、ひたすら指先の感覚を研ぎ澄ますことに心血を注いだ。幸か不幸か、その時間は1日当たり11時間も僕に与えられていた。

人は慣れる動物である、と昔読んだ本に書いてあった。実にその通りである。弛まぬ鍛錬の末、僕の指先はついにネジを3つ過不足なく掴み取り、かつ電動ドライバに寸分たがわず宛がう正確性を手に入れた。僕の指先は男らしいばかりでなく、精密さまで備えるに至った。

その後しばらく、というには若干長い期間を経て、僕は事務職に就いた。それからの僕の指先は急速に萎えて、以前の高等遊民を気取っていた頃の柔らかいものに戻った。しかし、磨いた神経だけは健在で、以前よりもかなり器用になった。惜しむらくは、使う場面が限られていたことだが。

それが今日、新たに僕の自尊心を打ち砕く事件に遭遇した。最近奥さんが始めたレース編みに苦戦していたので、「やれやれ、僕の出番か」と勇んで挑んでみたが、全く指が動かず十数個あるステップの内の3つ目で挫折を味わった。具体的には、糸で輪を作って、かぎ棒で糸を引っかけるところだ。基礎の基礎と言っていい。

ロボットアームだって、柔らかい物を掴むのは固い物を掴むよりも高度な技術を要する。その事実が今僕の心を支えている。すっかり柔らかくなった指先を撫でながら、次なる挑戦に挑む英気を養っている。

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