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私より狭い部屋、私より低い部屋

センター試験の日にウイルス性胃腸炎になったのを取っ掛かりにこれでもかこれでもかと風邪をひいてトドメにヘルペス初罹患で歯も磨けないほど口の中がただれたところで私の浪人生活は終わりを告げたのだった。

地方入試で受けて合格した大学は、訪ねたこともない大阪にあった。手続きの書類を眺めながら私は
「おかーさん、ふきたってとこにあるらしーよ!!」
…吹田(すいた)である。

そんな調子で文字通り右も左も分からない場所で、はじめての一人暮らしを始めた。
一縷の望みを託した3月末の国公立の結果を待ってからの部屋探しはそもそも「既にみんなが借りてしまっていて候補すらほぼない」状況で、ワンルーム(予算オーバー)か、めちゃくちゃボロい劇狭1K(予算内)しか選択肢はなかった。
下宿形式なんかまで探せば良かったのかもしれない。だが世間知らずの田舎育ちの一浪、そんな部屋があると言う発想すらなかったのだ。正確には「神田川が歌われた時代が過ぎそのような下宿部屋は絶滅した」のだと無意識に信じていた。

私の下に私学に通う妹とこれから高校に入る弟がいて実家の家計は当に火の車、という時期だった。ボロい方にするしかないのは分かっても、思い描いていた部屋とのギャップに押し黙る私に、大学生協の不動産部のおやっさんが

「な、もう親孝行しとき?トイレも風呂もあるんやしええやろ」

そう言った事で私の初めての部屋のスペック「4畳1K広々収納ユニットバス(自称)」が確定したのだった。

親の運転するミニバンで引っ越しはさくっと完了した。
何しろ部屋がとても狭い。4畳とは書いてあったが最後まで信じたくなかったくらいだ。わずかな食器と着替え、ちゃぶ台と布団を持ち込み冷蔵庫と電子レンジは部屋の近所で調達して、もう終わりだった。

大きな押し入れは付いていたものの部屋の幅は170センチしかなかった。
それは私の身長よりも狭く、つまりは私は部屋の中で南北に寝る方向は選べても東西に寝ることは許されないことを意味していた。不自由はないのだけれど、東西に寝る権利を持たないことは私を打ちのめした。自分がひどく制限された人生の局面を迎えたように感じて、あんなに出たくてたまらなかった家が、6畳の個室の子供部屋が恋しかった。

入学式を終えて親が帰宅すると(その狭い部屋で数日間とはいえ大人2人が寝そべる姿をご想像ください!)、持ってきたちゃぶ台でひとり夕食を済ませてはそれを隅に寄せて押し入れからマットレスを引っ張り出して寝る日々が始まった。

自分の身体より幅が狭い部屋、と言うだけでも新歓コンパのネタになるのにこの部屋には更にクレイジーな設備があった。

2つ目の玄関ドアである。

要は、以前風呂なし部屋のみの下宿方式だったのを、下宿人気の下火に伴い大家さんが2部屋をドッキングさせて壁をぶち抜いてキッキンとユニットバス付きの部屋に改装したにも関わらず恐らく費用の関係だろう、玄関を潰さずに生かしてしまっていたのだ。

と、言っても正式なドアでない方のドアは「存在しない」ことになっていたので鍵はもらえなかった。

つまり、内側からロックは出来ても外から鍵はかけられない。仕方がないので弱すぎる換気扇を使う代わりにそこを開けては通気に使っていた。…まあ、4畳にキッチンの部屋に2つの出入り口は不要なので特に問題はなかったけど、ユニークさではかなりの高偏差値を叩き出していた。ちなみにそのセカンドドアからはある昼下がり大きな百足が現れて、ギャーーーーーっと叫んで速攻で締めて以来ドアとしては(私の中で)存在しなくなった。

大家さんは数ある持ち物件の中でも一際ボロいこのアパートの住人たちを気にかけてくれていて(恐らく憐憫から来るものだ)、ちょいちょい家庭菜園の野菜なんかを持ってきてくれた。

そして、私に「この部屋狭すぎるし、他の広い間取りが空いたら追加の敷金礼金無しでそっち移ってくれてええでー」と何回か声をかけてくれた。

そんなある日、チャンスが訪れたのを私は見逃さなかった。

同じアパートの、間取り違いに住んでいる留学生の院生Aさんが季節外れの引っ越しの荷造りをしていたのだ。

これは!!つまり!!
引っ越しチャーンス!!

東西にも南北にも好きに寝る位置を選べるようになる!!

Aさんにさりげなく引っ越し日を確認してその足ですぐ近くの大家さんの豪邸にピンポンするわたし。
話によると間取りは今の2倍だ!これで、これで縦にも横にも自由に寝られる部屋が手に入る!しかも家賃は今とたったの5千円しか変わらない4万円である。2倍の広さの部屋が5千円で手に入るだなんて!バイト少し増やせばすぐに手が届く!!

平静を装い、大家さんに引っ越し要請をする。もちろん一発OKだ。
ウキウキしながら私は新しい部屋へと荷造りを急ぐのであった。

2倍の広さに浮かれすぎて縦方向へのチェックを怠り、
「廊下から部屋に入る際に自分の身長よりも低いアコーディオンカーテンの仕切り」
が待ち受けている事にその時はまだ気づいていなかった…けれどそれはまた次のお話。

はじめての部屋の話に戻る。
そんな部屋なのに今でも壁のひび割れや重いドアの具合、押し入れの板目まで手にとるように思い出せる。
私にとって初めての部屋はあの南北にただ長く狭いあそこしかないのだ。今でも時々Google マップでそっと検索しては、まだ存在している事になんだかほっとしている。


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