「その旅先で見えた希望」
やっと取れた連休。近場でありながら、圧倒的な非日常に浸りたい。ネットリサーチしていると、目に飛び込んできた「オレンジ色の人の波」。ラオスのルアンパバーンなる町で行われる朝の托鉢だとか。よし、今回の旅の目的地決定。
タイで小型機に乗り換える。これが揺れる。古ぼけた機体と、まばらな乗客が恐怖感をプラスする。窓からのぞくと一面の緑、茶色く走るひび割れは峡谷か。これは聞きしにまさる秘境ぶり、不安と期待が胸をよぎる中、無事着陸。
意外とホテルは高級リゾート感あり。庭には色鮮やかなブーゲンビリア、ハイビスカス、バードオブパラダイス、名前の知らない木々や花々も。旧フランス領だとかで、町のカフェやギフトショップはヨーロッパ風の石造り。実は欧米人が選ぶいつか行きたい世界遺産ランキング上位だと後で知った。
托鉢のことをホテルのフロントで聞く。観光客でも参加できる、20ドル払えばホテルで供物の用意もしてくれる。思いのほかスムーズに事が運んだ。明日の朝は早いので、ホテルの近くで軽くディナー。本格アジアンレストランの味がお手頃価格で食べられる。民俗音楽や踊りのサービスもあり、大満足の一日目終了。
翌朝、フロントでござと竹籠を受け取る。籠のふたを取ると、中には炊き立てのもち米。なるほど、これをお坊さんにお供えするんだな。ホテル前の道端にござを敷いてスタンバイ。そこかしこに地元のお爺さんやお婆さんがいる。観光客も集まってくる。まもなく、オレンジ色の人の波が近づいてきた。これがまさかの悲劇の始まりになろうとは・・・。
悲劇その1。スピードが速い。いや競歩かというぐらい。事前シミュレーションでは、のんびり歩いてきたお坊さんに、何ならお経の一つもあげてもらって、お供え物を渡そうなんて考えていたのに。その2。人数が多い。10人くらい、せいぜい20人なんて考えていたら大間違い。オレンジ色の袈裟を着たお坊さんが数十、いや数百の列を成して押し寄せて来る。
うわ、ちょっと待って。でも、やるしかない。周りを見ると、お坊さんが下げた籠に、手でお米を入れてあげている。何人かの僧侶は間に合わず、怪訝そうに私の前をスルー。よし次の人から行くぞと米をつかむ。悲劇その3。熱い!炊き立てのもち米なんてつかめたものじゃない。もうこの辺りで私は完全パニック。汗が吹き出し、髪を振り乱し、迫り来るお坊さんの前で米との格闘が続く。
その4。お米があっという間になくなった。小さめの炊飯器くらいの量があったもち米が底をつく、それでもまだまだ続くオレンジ色の行列。私は目が合ったお坊さんにただただ苦笑い。ちょっと冷静になり、ござを片付け見学者に戻ると、私のお米一回分が多すぎたとわかる。地元の人は指先で一つまみしているのに、私は小さめのおにぎりを配っている感覚だったのだ。
最後の悲劇。悲劇でもないけど、お坊さんが若い。托鉢の僧侶なんて、渋く枯れたお爺さんを想像していたら、目の前を通り過ぎるのは若く日焼けした丸坊主くんたち。ユニホームを着せたら、野球部の朝練で通りそう。だんだん平常心を取り戻すと、むくむくと好奇心が沸き起こる。私が知ってる托鉢じゃない、これは一体何なんだ。
その夜ホテルでネットリサーチ。そこでわかったこと。彼らは貧しい農村の青年たち。寺に修行僧として入り、雑務を引き受ける。その代わりに衣食住の世話を受け、学校に通わせてもらえるのだという。毎朝の托鉢がすなわち彼らの一日の食事。まさかそんな社会的意義があったとは。じーんと胸が熱くなる。明日の朝もう一度ゆっくり見学してみよう。
昨日と同じように、地元の人や観光客が集まって来る。私のそばに若い女性が来た。彼女は米が入っているであろう籠を両手で抱えると、静かに目を閉じた。何かお祈りをしているらしい。そうか、このソーシャルシステムは少年たちを助けるだけじゃない。施しをする人自身も救われる、双方向の効果があるんだ。毎日の朝のこんなに清々しい始め方ってあるだろうか。
オレンジ色の行列を眺めながら、私の頭に浮かんだ言葉がある。それは「希望」。生まれは貧しかったかもしれない。今困っていることがあるかもしれない。でもきっと何とかなると信じられる。助けを求める機会やシステムもある。このオレンジ色の朝には希望があった。こういう社会で生きたいと思った。今自分がいる社会をこういう風に変えていきたいとも思った。その後の私の人生にたしかな光を照らす、忘れられない旅となったルアンパバーンだった。
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