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コロナ体験記 2021年8月@札幌市

自分でもまさかと思ったが、新型コロナウイルスにかかった。
正直なところ、「自分はまだ20代前半と若い」「健康で免疫力もあるからかからないだろう」とコロナウイルスを舐めていたのだが、発症症状と後遺症が大変辛かった(現在も後遺症が辛い)。なんとも収まりがつかない感情を昇華させるとともに自分と同じようにコロナウイルスを舐めている方の参考になればと思い、発症から1ヶ月ほどの体験をまとめた。この文章が誰かの役に立てば幸いである。


▶︎まず自分について

24歳男性の大学生で学生寮暮らし。2年前に部活を引退したとはいえ体力と健康には自信があり、タバコは吸わない。一年に一度、風邪をひくくらい。
上記にも書いたが学生寮にて自分を含め7人で共同生活を送っている。一応外出時はマスクをしたり、手洗いなどを行っていた。ただ、無意識的に「自分はかからないだろうな」と思っていた。

▶︎経過のまとめ

辿った経過はざっくりと以下のような流れ。
~8/4:身体のだるさを少し感じ始めるものの発熱はなし
~8/6:朝起きたら39度以上の発熱が始まる
~8/8:市販の薬を飲んでも熱が39度から下がらなかったため発熱外来でPCR検査を受診。またこの頃から味覚障害が現れ始める。
~8/9:陽性判定、保健所と札幌市と大学からすぐに電話がかかってくる
~8/10:札幌市南区の田舎の施設で隔離
~8/17:熱は37度前後まで下がるものの、身体のだるさは取れず。
~8/28:味覚障害で食事がなかなか取れず寝たきり生活

以下、発熱から病院の受診、検査と陽性判定、隔離療養、そして現在に至るまでを時系列で書いていく。


▶︎発症初期

症状が出始めたのは8/6。2日前からなんとなく体がだるいな〜と感じていたが、その日の朝起きてみると真夏であるにもかかわらず震えるほど寒く、立っていられないほど身体中が痛く、熱を測ってみると39.6度あった。
「まさかコロナにかかった、、、?」と思い、札幌市の電話診断を受診。その結果、「コロナにかかっている可能性が低い」と言われたため、とりあえず薬を飲んで部屋にこもり様子を見てみることに。しかし、熱が39度から一向に下がらず、冷えピタも3時間したらカピカピになってしまうほど。その発熱と関連してか頭が痛く、全く寝付くことができない。また喋ると咳が止まらなくなってしまったり、喉がパンパンに腫れてしまい飲み込む作業が辛く、十分な水分を補給できない。病院に行こうかとも思ったが、札幌市の電話往診でコロナの可能性は低いと言われたのと、すぐに病院に行くのもよくないという意識も働き、とりあえず我慢していた。
しかし、友達が作ってくれたおかゆの味がいまいちよくわからないことから「これ、コロナの味覚障害なのでは、、、?」という恐れから発熱外来を受診をすることを決める。

▶︎発熱外来での受診

札幌市におけるコロナ関係の受診は完全予約制であり、その日のお昼頃に電話をかけたところ予約が詰まっているらしく16時から16時半しか空いていないとのこと。場所は大通と家から自転車で15分くらいの近いところなのだが、立って歩くのも辛い状況だったため友達に車で送迎を依頼。
発熱外来に着くと、待合室ではなくプラスチックの垂れ幕に囲まれた別の場所に隔離される。

診察は問診と唾液検査。1時間くらいかかるのかなと思っていたら20分もあれば終わるあっさりとしたものだった。診察で解熱剤を処方してもらう。
医師からは「この時期、夏風邪で39度出る人もいるからコロナじゃないかも」と言われるも、うまく言語化できない「何か嫌な予感」を覚えていた。

▶︎陽性判定→関係各所から怒涛の連絡

検査を受けた次の日の午前10時ごろ、保健所から陽性の連絡が来る。「嫌な勘というものは当たるものだな」と思いながら寝ていたところ、そこから関係各所からの電話連絡がひっきりなしに来る。まず保健所事務担当からは症状判明からの行動の聞き取り調査&濃厚接触者の特定が行われる。また保健所医療担当からは電話問診が行われる。さらに大学からは所属学部事務から授業の振りかえなどの確認連絡があり、また学生寮担当の課からは今後の対応の連絡があるなど、その日の午後だけで5箇所ほどの関係各所からの電話対応を意識が朦朧としている中行う。

▶︎隔離療養

8/10、札幌市の対応は早く、陽性判定した次の日の午後には札幌市南区の隔離施設に移動することに。そこは15階建てで計500部屋以上ある大型のホテルであり、札幌市が丸ごと借り上げ、隔離施設として使っていた。(後から聞いた話、このような施設は札幌市では他に3つあるらしい)
そこでは基本的に部屋から出られず、唯一弁当を取りに行くときだけ部屋からでられる生活だった。生活環境は思ったよりもよく、部屋はダブルベッドで非常に広く、テレビもついている。さらに弁当が非常に豪華でメインが2品、副菜が数種、デザート2種、飲み物付きと金額からしたら七百円くらいしそうな弁当セットが3食出る。改めて振り返るとQOLが高かったなと思う。
※ただ非常に残念だったのは「Wi-Fiが非常に弱くネットがあまり使えなかったこと」だ。多分なのだが、自分と同じように隔離療養をしている人が一斉にネットを使ってしまったため、回線がパンクしてしまっていたのだと思われる。

ただ、これだけ豪華な弁当が出ても、自分は発熱と味覚障害によりなかなか食事を取ることができなかった。数日後に平熱に戻ったのだが、体のだるさと味覚障害からか食事が取れない状況が続いた。

▶︎隔離療養終了、そして現在

平熱に戻ってしばらくしたのち、医師からの帰宅の許可が出る。8/16に帰宅するも依然として体のだるさと味覚障害が残り、寝たきり生活を送る。食事もなかなか取れなかったが、「酸味」「甘味」「塩味」が強いものは摂取しやすいことに気づき、フルーツやお菓子を中心になんとか体にねじ込んだことが幸いしてか、8/28ごろになり体のだるさはなくなり始める。現在9/2には体のだるさはなくなり、味覚障害は残っているものの外を歩くなどの軽い運動をすることでより食事を摂取できるようになった。


▶︎辛かったこと(現在進行形も含む)

・発熱
とにかく薬を飲んでも38.5度から下がらなかった1週間は本当にきつかった。1週間も高熱が続くことは人生で初めてであり、その間は食事も取れないし寝ることすら満足にできず、ジリジリと体力が削られていくような辛さがあった。例えるなら「生き地獄」。正真正銘、今まで生きてきた中でフィジカル的に一番辛かったです。

★味覚障害(現在進行形)
これが本当に辛い。何を食べてもぼやける。つまり何を食べても美味しくない。これは食べたい気持ちがわかないし、毎日、食事をすることが苦行になった。さらに追い討ちをかけるように、この味覚障害が6ヶ月経っても完全に治らないという事例を身近で聞き、かなり落ち込んだ。これまで食に興味関心をもち職業選択&卒論執筆をしてきた自分としては非常にショックが大きく、まだ立ち直れていないのが現実。

▶︎助けられたこと

・友人&親戚
隔離療養前、自分1人での生活を送ることが不可能だったのだが、その際に同居人に大変助けられた。もしこれが一人暮らしだったらと思うとゾッとする。学生寮で助け合える環境があるというのは素敵なことだなと再確認した。
また隔離療養後、食事も買い物もままならない状況においてすぐに食べられる緊急物資を送ってくれた親とおばさんには本当に感謝をしている。自分は誰かに助けられて生きているんだなと改めて気付かされた。

▶︎ざっくりと総括

自分は電話問診でコロナの可能性低い→症状が改善されず検査→陽性判定となったため、ショックは正直なところ大きかった。電話問診は受けつつも気になるのであれば市販のPCR検査をすぐに受けた方がいいと思われる。(市販のものでも陽性が出たら確実に陽性であることがわかるため、気になるなら試してみた方が初動が早くでき、周りへの迷惑を少しでも抑えることができる)

冒頭にも書いたが、正直言って自分が新型コロナウイルスにかかるとは微塵も思っていなかった。このウイルスがもたらす社会的・経済的影響に対しては危機感を持っていたが、自分の生には関係してこないものだと感じていた。でも、感染した。普通に生活をしていたら普通に感染してしまう。

改めてだが、今回、味覚障害という後遺症に苦しむ自分への慰めとともに、自分と同じようにコロナを甘くみている若年層に届けばと思い、noteを書くことにした。自分のこの体験が少しでも誰かの役に立てば幸いである。

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最後に、医療従事者の方々、保健所職員の方々、大学職員の方々、寮運営メンバー、この大変な状況の中、本当にありがとうございました。普通に夜の10時ごろまでお仕事をされていて、足を向けて寝られません。

さらに同居人、両親とおばさん、本当にありがとうございました。冗談抜きで自分の生命線でした。味覚障害が完全に治るかどうか分かりませんが、元気になったら直接のお礼の連絡をしたいです。

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