見出し画像

ドラマ「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」の“アウティング”という言葉

原田泰造さん主演ドラマ「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」第5話。

まだ観てないけれど内容を読んで「え、言っちゃう、それ?!」とちょっとびっくり。男女でもわたしなら言えない。訊けない。よっぽど親しい仲ならわかるけど、関係性考えたらそんなのデリカシーなさすぎじゃん。原田泰造さん演じる男性に呆れた。

でも、アウティングという言葉は知らなかった。iPhoneでも“アウテ”まで入力しても予測変換しないからきっとまだ新しい言葉だとは思うのだけれど、わたしは初めて聞いた。

だんだんとこういう言葉が必要になってきたのだろう。でもこんな言葉なくたって、わたしならちゃんと気遣い出来るのに。少し考えればわかることだろうに。バカみたい。本当に呆れる。

と、ここまで考えて、わたしなんでこんなにムキになって怒ってるのだろう?と思った。

人は自分と似ているけれど自分の方がちょっぴり上、だと思っている相手には攻撃的になるらしい。例えばわたしはとても消極的で人見知りが激しい。だから話上手でいつも周りが盛り上がる明石家さんまさんや笑福亭鶴瓶さんなどをテレビで見るたびに、彼らの予想外の言動にただただ驚くばかり。批判したり攻撃的になったことなんて一度もない。むしろ羨ましいくらいなのだ。ということは…。

わたしもドラマの中の彼のように“アウティング”しちゃうかもしれないのか。デリカシーないんじゃないのか。危ういんじゃないか。いや、わたしは多分断りもなく“アウティング”しない。しないけれど、きっと知りたい、とは思うはず。二人の仲はどうなってるのかな?!知りたいな!聞きたいな!

でもわたしは人見知りで消極的で怒られたくないという気持ちが強い性格。だから、とてもじゃないけど訊けない。そう、訊かない、じゃない。ただ訊けないだけなんだ!

わーーー。わたしサイテー。ひどい。わたしの方がデリカシーないじゃん。まだ言っちゃって怒られて謝ったほうがいいじゃん。

ところでアウティングは、LGBTなどにしか使わない言葉なのかな?わたしはあまり自分のことは人に話さないし、話したとしてもそれを第三者に言われるのはとても嫌だ。それをされたらその人には二度と話すことはない。そういう時には使わないのかな?

わたしが人に自分のことをあまり話さないのは、他人は皆わたしのように野次馬根性がある、と思っているからである。どうせわたしの話を面白おかしく聞くだけなんだ、と思っている。それでもきちんと聞いてくれそうな人には時々話すけれど、それを他人に言われた日には「もう一生話さない!!!」と怒りに震える。

わたしはつくづく、世界中の人は自分みたいだと思い込んでいるんだなぁ。視野が狭いなぁ。他人を認められない人だなぁ。そういう自分は好きじゃないなぁ。

よろしければサポートをお願いします!! いただいたサポートは自分のやる気アップのために使わせていただきます!