ありのままメガネ
過去を振り返ってみて「いいこと」ばかりあったという人と「イヤなこと」ばかりだったという人の違いは、たった一つのようです。それは、「いいこと」に焦点を合わせているか、「イヤなこと」に焦点を合わせているか、という違いだけ。
例えば「自分はいつもツイていない」と思っている人がいたとします。その人に聞いてみましょう。「どんなときに、ツイていないのですか?」と。
「そうですね…。駅に駆け込むと、一足違いで電車が出てしまったときなんかに、つくづくツイていないなぁと思いますね」。
でも、その人だって、毎回毎回、電車に乗る度に置いてけぼりをくらっているわけではないでしょう。それまでには、何十回、何百回もタイミングよく電車に乗った経験があるのに、それは忘れていて、たった数回、目の前を電車が行ってしまったことを鮮明に覚えている。それで「自分は、いつもツイていない」と思ってしまうのです。
逆に「自分はツイている」と思っている人は、ほんの些細なことにでも喜びを発見し、そのとき「ラッキーだった」とか「この程度で済んでよかった」と好運を感じ取っているようです。
どんな人でも毎日、同じくらい幸運な体験をしているのではないでしょうか。要は、普通で当たり前に過ぎ去る出来事(一言で言えば「つつがないこと」)を「幸運」と見ることができるか、にあるようです。
私たちは、どうやら知らないうちにメガネをかけて過ごしている。
ある人たちは、いいことに焦点が合っている「いいことメガネ」をかけ、また、ある人たちは、イヤなことばかりが大きく見える「イヤなことメガネ」をかけているのです。
あなたは、ふだんどちらのメガネをよく多く掛けているでしょうか。「イヤなことメガネ」から「いいことメガネ」に掛け替えることができると、そのうちにどうなるか?。次の新しいステージに進めます。ものごとを「いい、悪い」で区別しなくなり、「ありのまま」に見えるようになるのです。