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オリンピックに思う

 北京オリンピックが始まりますが、オリンピックに関して感じいることをいくつか。

(1)銅メダルをとって、歓喜のなかガッツポーズして達成感をかみしめている選手がいるかと思えば、銀メダルでも、残念がりうなだれている選手がいる。
 順位や結果が、感情を生み出すのではなく、事前の期待感や考え方が感情を創り出す。

(2)せっかくオリンピックや大きな大会に出場できることになったのに、病気やケガのために、競技への出場を断念せざるを得なくなるケースがある。選手は、さぞ無念で悔しいと推察するが、「(少数だとは思うが)本人の心の奥底では、競技にもう出たくなかったのでは?だから、身体が、潜在意識の願望をキャッチして病気になったり、ケガをしたのかも」と思うことがある。

(3)金メダルをとった選手は、人生の絶頂だと思うが、その有頂天気分も数カ月もは続かないのでは。やがては、これからはメダリストとしてヘタな成績は残せないというプレッシャーや、2位以下へ転落する恐怖などを背負うことになるだろう。大成功と不安は、セットでやってくるものだ。

(4)勝った選手がよく言うセリフに「夢を諦めてはいけない」がある。これを聞くたびに思うのは、「私にはこれしかない」というように一つの夢を追い続け、極める人生もいいけれど、それだと背負うリスクやプレッシャーも大きいし、うまくいかなかったときは自分を追い詰めることになる。
 むしろ、いろんなことにトライして、飽きてきたら、次の分野に進み、複数のキャラクターや生き甲斐を持っているほうが、逃げ場があって、気楽に過ごせるのじゃないだろうか。
 「(一つの)夢を諦めるな」という教えよりも「夢は分散させて、複数の人生を歩もう」というアドバイスのほうが、突出した才能を持たない大多数の人にとっては有益だと思いますが。

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