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斎藤茂男 ルポルタージュ 日本の情景 #2

「七〇年代はじめのころでしたか、老人医療にカネをかけるのは、枯木に水をやるようなものだ、と発言して労働大臣のイスを棒に振った政治家がいましたし、わりあい最近のことでは、乳牛でもミルクが出なくなれば殺されるんだ、それと同じように人間も働けなくなったら死んでいただくと財政面からみて助かるんだが……と、公開の席で発言した政治家もいましたしね。老人に対してだけでなく、障害者や病弱者なんかに対しても、同じような”いらだち”を感じているんじゃないでしょうかね、こういう人たちは……」

斎藤茂男『生命かがやく日のために』(岩波書店、1994年)

ダウン症の赤ちゃんの生死をめぐるルポ、全集第3巻『生命かがやく日のために』に登場する「A先生」のこの発言に、愕然とさせられたものだ。2000年代に入ってからの新自由主義的な価値観の蔓延と、石原慎太郎とか橋下徹のような人が支持されていく風潮、そこからじわじわと、優生思想的な価値観が醸成されてきて現在に至ったのだと、なんとなく考えていたが、それは間違いだった。はるか以前から、少なくとも50年前からすでに、この社会には優生思想が現前していたことが、本書を読むと一発で分かる。この「A先生」のその後の発言は、現在の予言となっている。

「いまの日本人には自分は中流階級だという意識が強いけれども、実際はたとえば交通事故であれ、災害であれ、病気であれ、いったん何かコトが起こればたちまち社会的弱者そのものになってしまう、そういう”板子一枚下は地獄”の暮らしをしているわけでしょう。ところが、その”地獄”がうまく隠されているので、知らず知らずのあいだに、その現実から遊離してしまって、あたかも自分が社会的強者であるかのような錯覚を抱かされやすいんですね。自分は強者のつもりで、社会的弱者に対して”あんなのは世の中のお荷物だ””あんな人たちにおカネかけるなんて国家の損失なのに……”とひそかに思うようになって、陰に陽にその存在をいじめたり、抹殺したりしようとする……」(強調引用者)

同前

念のために言うと、このルポの初出は1985年。なんとまあ、2023年現在のこの国のことを言っているのかと錯覚するではないか。「A先生」の予言が、相模原障害者施設殺傷事件という最悪な形で現実化したことを知っているわれわれが、いま、本書を読む意味は極めて重い。あと言うまでもないが、いまの成田某とか杉田某とかその他優生思想剝き出しの有象無象につながる「日本人」の性質が、ここで簡潔かつ的確に言い当てられていることにも、嘆息させられる。

「他人に対して冷淡であることは、一人ひとりがバラバラにされていくわけだから、弱い社会、脆い社会だと思いますね。(略)自分さえよければという人間の集まりは、一人ひとりバラバラですから、操作は簡単です。ファシズムはそういう社会にこそ芽生えてくるのだと思うのです。」

同前

なんというか、ぐうの音のも出ない。1980年代にここまですでに言い尽くされていて、現にそうなっているのだから。(つづく)