「ミーム戦」とか分かんない人用メモ

 最近プロパガンダの話とは別にミーム戦がどうこうという話を耳にする人が増えたかもしれないし、増えていないかもしれない。

 より詳しい人は「デジタルゲリマンダー」について文献を漁ってもらえれば良いと思うが、既存メディアの人たちや政治分析に従事する人たちですらその前段階の概念であるミーム戦について理解していない人たちが多いので、そのうち削除するけど念のために書いておく

「ミーム戦」を知る前に

 まず情報部門では「アナリスト」と言われる学識ある偉い人と、「エージェント」と言われる正規軍の人たち、そして現地で違法行為も厭わず情報をかき集める「オペレーター」とに分かれる

 昔は野球の守備位置に例えられるぐらいそれなりに厳格に資格が分かれていたのだが、最近では現地採用の人が偉くなってエージェント活動を担ったり、湾岸戦争後にクウェートやアフガニスタンに自ら乗り出して現場活動を始めてテロ死したアナリストもいるのでゴチャゴチャになっている

 まったくイメージがわかないよという善良な人はゼロダークサーティを検索してみて欲しい 複数の関係者が一人の女性にされている以外は実際にあった話だ 関わった人たちも沢山死んでる みんなオペレーターだ

 さらにゴチャゴチャになったのは第5の戦場とされるサイバー空間や航空宇宙はフロンティアすぎて正規軍だけでは情報が捌けなくなったうえに扱う分野の専門性ゆえに基地外やボーダーの連中が増えた

 13年のスノーデン問題が典型だけれども、本来ならどこぞの厳重に守られた施設の中でやっていたことが、専門技能を外に求め、扱う問題が多岐にわたるため予算内で済ませるために外注を使うようになり、オペレーターに愛国心とか情報屋としてのモラルを持たせるとかできなくなった

 馬鹿が増えればスノーデンみたいなのも増える 仕方のないことだ

で、「ミーム戦」って何よ

 俗に頭の中の戦争と言われる

 例えば、お前の前に”コップ半分の水が与えられる”

 この状況をどう評価するかはお前の置かれている事情や立場、考え方によって異なる

 のどが渇いていれば「半分しかない」と評価するし、ビールが飲みたければ「水などどうでもよい」となる。 冷えた水が欲しい コントレックスがいい いろんな意見が出る 当たり前のことだ

 ミーム戦の過半は、この「相手の所与の立場」を操作することで、目の前にある”コップ半分の水”というたったひとつの事実に対して複数の見解を導き出し、論争させたり分裂させたり、あるいは連携させたりすることだ

 目の前にある”コップ半分の水”が、半分しか水がない、半分も水があると論争するベクトルがあれば、欲しいのは水じゃない、コップであるべきかジョッキであるべきか、冷たい水が良かった、いや冷たい水は腹をこわす、軟水であるべきだ、アボガドを育てるのに水資源は貴重だ、負数の立場で議論を分断させることができるかどうかがミーム戦の基本にある

 次なる具体的な例を挙げよう

 お前のリテラシーが強く問われる記事だ

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14945439.html

 この記事の事実は一つ、「中国に進出したアップル社が、中国国内のユーザーが蓄積したiCloudデータを中国政府の指導に基づいて中国国内で管理している」ということだ これ自体は中立的で、政治上の立場はあまりはさまない

 ところが、これが「中国は中国国民の情報を扱うにあたって、中国企業もAppleのようなビッグテックも同じように中国国内で管理させていて望ましい」と判断する人と、「これは中国によるアメリカのビッグテック企業への不当な介入であり、事実上中国はデータ管理政策で不当な条件を構築して非関税障壁を構築している」と判断する人とが出る 本来は政治的に無味乾燥な主権上の問題が一気に色付けされる

 繰り返すが、事実はひとつだ 違うのはその事実に対する評価だ

 けしからんのは中国の情報政策全体なのか、特定の中国の部局が行った判断なのか、それに従ったアップル社なのか、それに唯々諾々と従う中国国民なのかは人の立場や考え方、経験によって異なる そしてそれは固有であって、情報に接するほど、その人の考えるベクトルは強固になっていく

 さらには、「アップルは中国に不必要な情報移転や技術移転をしている」と読み解く人もいれば「アップルは商売のためにアメリカで開発した知的財産をみだりに中国で活用させている」という人もいる、さらに「アップルの主力製品は中国国内で部品を作り、中国で組み立てているのだからビジネス上仕方がないのだ」という話まで広がっていく

 いうまでもなく、この事実に対する評価をどのようにして人々のあいだに浸透させるのか、これがミーム戦の初段であって、意味づけのフェイズと言われる

そのミームはどこからきて、何が操作されるか

 結論から言えば、ミームを導き出す力は基本的に人の知能の高さ低さと、物事に対する文化的、経験的、社会通念的道理の中にある ケンブリッジアナリティカ社がBREXITやアメリカ大統領選で果たした役割とそれを支えた行動遺伝学的見地はある程度正しいとみられる

 例えば、同じ桃太郎の物語でも日本人が聞いて理解する桃太郎とアメリカ人、あるいはロシア人のそれとはまったく異なる。日本では良く分からんが基地外がそこにいるのならみんなのために実力排除が美徳である一方、アメリカ人はなんで動物連れて単身突入するんだ無謀だろ勝てるだけの味方を揃えてから行けとなる

 しかし、そこには価値観を揺さぶる別の偶像が配される

 例えば鬼によって不当に虐げられる可哀想な老人、立派で強い若者に育った桃太郎その他、その物事の本質を包み隠す画像や映像によって意味づけがなされ、その内容は特定の立場の人にとって強烈な価値を生み出す

 日本人なら桃太郎と言われればメガネドラッグの桃太郎かもしれないが、アメリカ人でWWE好きな人たちからすればロック様やジョンシナが桃太郎に扮した画像が出れば総立ちになるかもしれない 特定の人に刺さるアングルから情報のベクトルが作られれば、アメリカ人の40%が好きなWWEが作りだす意味は「いますぐ行け桃太郎 鬼を倒せ」になるだろう

 一つの物事が作り出される物語や画像や意味が、行動規範を伴う文化的パッケージに集約される 具体的にはオレンジ色のタオルを振り回すジャイアンツ民の行動を見て、他のジャイアンツ民は無条件の信頼と帰属意識を持つ 慶應義塾の人間が「若き血」を聴いて盛り上がるのも創価学会員がルーマニア国旗を振って絶頂するのも同じ理屈だ これは「関心」や「帰属」のバックグラウンドとなる

 子育てで苦労して育て上げた老人夫婦は、街中で泣き子扱いに苦労する若い親を見て同情したり、心の中で励ましたり、それはなってないと嘆いたりする これらの感情の動きひとつひとつが立場や性格や経験によって分断される評価だ 子育てをしてきたという経験に基づく「帰属」が若い夫婦に対する関心を呼び覚ますところまでは共通するが、その目の前であたふたする未熟な親の振る舞いを見て親しみを感じるか馬鹿親めと蔑むかはその人固有の価値観による

 コップの中の半分の水が半分しかないのか半分もあるのかと同じように、あの若い親は頑張れと応援するのか若い親はなってないと嘆くのかの差になる そして社会はそういう心の動きが作った事柄の繰り返しで織り成された行動によって成立している

 これらの人々の心の動きの総体を、意図的に作り上げようとするのがミーム戦の根幹であり介入の手段となる ワクチンが足りなくて困っている台湾を助ける日本の行動も、本来なら日本人も受益側であるはずの新疆ウイグルでの不当な奴隷労働の実態に対する行動も、まあだいたいミーム戦の所作でありメディアと共に作り上げられる分断された物語なのである

頭の中の戦争に勝てるのか

 実際のところ、おまえがどう評価するかはある程度所与である

 たぶん、人間は生まれつきある程度価値観は決まって生まれる あまり環境によって左右されず、子どものころに親や学校によって植え付けられた価値観や感情も、成長し30歳を超え中年に差し掛かるころには生まれ持ったものに立ち返っていく(だから教育が大事だと言われる)

 他方、人間の立場は可変である 例えばお前がアメリカの大学に行けば共和党支持者であるとは表立って言えない そこでキャリアを築いていくころには立派な都会生活者となり民主党支持者となる 立場を守るためにトランプを馬鹿にしなければならない トランプを支持したレッドステートは馬鹿の集まりなので平気でシャドウステートとか信じるしコロナワクチンは打ちたがらない 分断が行動を伴い、有意差として本当に社会は分かれていく 同じ国の、同じ社会なのに

 同様に、日本では保守だ左翼だと言っている人たちは往々にして低所得でたいした政治的影響力を持たない人たちに分類される 熱烈民族主義者やバリバリの共産主義者な経営者が目立つが、目立つのはそいつらが珍しいからだ 日本でも中東でも欧州でも理性的に利己的に稼ぐことのできる人は周囲と政治的な話題をすることを極力避ける人たちで占められている

 しかし、政治は基本的に愚者のものであって、一日の自由になる時間の半分はテレビを観たりゲームをしたりして過ごす 一カ月で親しく付き合う友人の数も平均で4名から8名ぐらいまでで、限られた人間関係、決まりきった娯楽、固まった家族の中で暮らしている

 そういう人たちにこそ、ミーム戦は効く 世の中で起きたこと、とりわけ本人にとって不満だと思っていることに対して、その世の中で起きている不満は「これが理由だ」と指し示してやればいいからだ

 物事に対して意味づけをして、それへの支持を促してやればいいのである

 ただのプロパガンダがマスメディアの議題設定能力だと言われる一方、データサイエンスの世界ではネット記事や広告が作り出す物語や画像や映像が作り出すミームによる行動変容が重要だという結論になっている

 それをさらに微分するとディスインフォメーション(дезинформация)と不安定工作という冷戦時代の陳腐な遺物になっていくが、50年の時間を経てなおこのノウハウが亡霊のようによみがえるのは、陳腐ながら効果的だからだ

フェイクニュースとデジタルゲリマンダー(情報分断)

 この記事の一読を推奨しておく

 書き手の境治さんは「世帯視聴率でテレビ業界DISってんじゃねえよ」という話を展開したそうだが、なぜこれが起きているかについてすぐにピンとくる人は賢い

 つまりはテレビを観る奴が如何にアホであるかをネット媒体の側が意図的に刷り込みにかかっているからだ

 テレビの主力商品である番組の視聴率が下がっていて、それはくだらないもので、サゲ情報であるということをプッシュすることがもちろんPVになるだけでなく、ネットで情報を観ている人たちにとって、テレビを観ている人たちをあちら側に追いやる技法そのものだからだ

 ”コップの中の半分の水”において、半分しか入っていないこちら側が、半分も入っているあちら側と分断する技法がサゲ情報の大事なものである

 不確かな未来に不安を感じている人たちに断言して安心を与えてくれる新興宗教や堀江貴文・西村博之のネタに近い 馬鹿しか騙せないが社会はある程度馬鹿が動かしているのである

 フェイクニュースの本質は、これらのミーム戦を勝利に導くためにリテラシーの低い馬鹿を動員するための技法が大事なのであって、片側に百田尚樹や有本香のような馬鹿を騙しに行く連中と、もう片側に津田大介や東京新聞一派のような馬鹿を騙しに行く連中とが、切り立った尾根の両側の崖として控えているに等しい

 そして、これらの分断が進めば進むほど、民主主義は機能しなくなり、互いが互いのクラスターと橋渡しして相互理解する仕組みは無くなっていく

 アテンションエコノミーとかプロパガンダ手法の行きついた先がこれらのミーム戦による社会の分断だよという理解でまあだいたい間違いはない

神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント