見出し画像

【補遺】津田大介は結局「百田尚樹は差別煽動している」と言いたいだけなんだな

 親切な人が、津田大介さんの手による石戸諭さんへの反論を書いたのに消去したnoteのアーカイブを送ってくれました。

 もちろんpdf保存しました。面白く拝読しました。

 あの原稿が石戸氏から上がってきたら、例えば以下のように結論部の書き換えを提案したと思います。
「百田の言葉は『ごく普通の人の感覚』の延長線上にある。『ごく普通の人の感覚』を熟知した人間が、半ば無自覚にあのような差別扇動を行うから怖いのだ」と。
仮に、そういう結論であの原稿が締められたのであれば、百田氏がいかに「普通の人」の人心掌握に長けているかが、明確に読者に示されます。

 つまり、津田大介さんは百田尚樹さんへの論評において「百武さんは差別煽動を行う」という文言を入れろと言いたいようで、そういう百田さんに対するストレートな批判を書かずに客観的に百田尚樹現象を論証しようとした石戸さんの記事を正面から誤読し、結果として石戸さんの議論を誤認するような批評を朝日新聞で加え、それに対して石戸さんが抗議したことに関して訂正をしないという結論に至った、ということになります。

 つまりは、これよな。

 石戸諭さんの記事は、客観的に百田尚樹現象を論じているだけであって、百田尚樹さんを差別煽動者として糾弾することを目的としたものではないのは明確です。津田さんは、過去にも百田尚樹さんと論争をしてきた経緯があるので、百田尚樹さんが少しでも客観的に、肯定的に論じられる記事は我慢がならないのでしょう。

 しかしそれは津田さんの単なる狭量の問題であって、ひいてはジャーナリストとしての資質の問題でもあり、石戸諭さんのような「あー、そういう風に読まれたのか。しょうがないな」では済ませない論者に正面から強く反論され、朝日新聞のデスクまで押しかけられ、広報対応までする事態となり、それでも「俺は正しい」と突っ張っている、という図式であろうことは何となく分かります。

 しかも、津田さんはどうもその反論すらも読者の批判にさらされたからか分かりませんが、この反論文を削除して、その削除に対する釈明文を残していきました。さらにその内容が…。

本日公開したnoteは非公開とすることになりました。みなさんの反応を見ていると、「普通」を”量”と見るか”質”と見るかという話が多く、勉強になりました。もともと両方の意味が込められている単語だと思いますが、これほどまでの対立が起こるとは思いませんでした。今後に生かそうと思います。対話と学びの機会をありがとうございました。

 石戸さんの論述を乱暴に要約するならば「百田尚樹さんは『普通の読者』が喜ぶ物語が書ける小説家」であることを客観的に表したまでで、津田さんの言う「百田さんは普通の人」とは読めないわけですよね。抗議の仕方はともかく、抗議をしても何もおかしくないとは思うんですよね。

 ところが、それへの反応が上記の内容だったので、この人は今後もこういう問題を繰り返すのだろうなあという思いを新たにしました。

 それにしても、津田大介さんは単純に百田尚樹さんと主義主張が合わないから百田さんを批判して、百田さんからフェイクニュース野郎扱いされているからイライラしてるんだと思うんですよね。

 そりゃ百田尚樹さんの『日本国紀』ほか、極端な主義主張をすることや、それを真に受けて愛読している面々がいてベストセラーになっていること、また、そういう史実にそわないものでも感動的な物語を作り上げてそれを「通史です」といって売る幻冬舎・見城徹さんはあかんやろという内容ぐらいまでなら、まあみんな薄々思っていることでしょう。そういうのを踏まえて津田大介さんも石戸諭さんの議論を補強していけばジャーナリストとしての見識も示せたのにざんねんだなあと思うのでした。


神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント