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年俸330万→650万の転職と上京と雷鳴

 少し前の話だし、本人にも書いていいと言われたので、特にエモくはない転職の話を書く。

 宮本さん(仮名)はネットでしか知り合いではなく、たまにネットでゲームを一緒にやる程度の仲だったのだが、そのネットゲームの日本人ギルドが解散することになって界隈がお通夜になってからしばらく連絡を取らなくなった。どのようなゲームでも、やり込んだジャンルの衰退に直面するのは辛い。でもまたどこかで彼とゲームできる日が来るといいなと思ってはいたが、日々慌ただしく暮らしている中で彼のことをすっかり忘れていた。

 その宮本さんからある日突然メッセが飛んできて、相談があるという。

 何の相談だろう。

 相談に乗ると言っても、そもそも「宮本さん」という以上の情報を持っていない。美少女の雷系の魔法使いということしか分からないのだ。ゲームの腕は確かだったし、ログイン状態であれば呼べばすぐに来てくれる、一緒にやれば、期待を裏切らない程度のプレイをしてくれる。そういうゲーム内での誠実さ、上手さしか知らない。なんかプレイヤーが困っていると、横からすっとやってきて、ゴロゴロと雷を起こしては「少しは気を付けてよね」と気の利いた言葉をチャットに投げ込んでいく、そんなプレイスタイルだ。

 時間を合わせて、ビデオチャットをしようという話になった。ビデチャで初対面の人と喋ることは少なくないが、ゲーム内で宮本さんが操る、まあなんというか、魔法を使うセクシーな美少女のイメージが強いわけである。うっかり本当に美少女が出てきたらこちらが赤面しかねないし、ゴリゴリのヤンキーが現れたら心が冷えてしまうかもしれない。

 ちなみに私のキャラクターは猫ちゃんをペットで連れたオールバックのおっさん戦士(タンク)であった。しかも、キャラクター名は「IchiroYam」である。ゲームでは常に本名で勝負することをポリシーとしている。

 そんな宮本さんが、ビデチャでコールしてきた。

 期待半ば、怖れ半ばで着信画面を開いた。

 宮本さんはおっさんだった。ヤバイ。ゴツいおっさんが画面の向こうで微笑んでこちらを見ている。そうか、あの美少女は宮本さんであり、宮本さんはおっさんであったか。

 いいんだよ。おっさんで、いいんだよ。

 がっかりする必要はない。おっさんがゲームしていて何も悪いことは無いし、ゲームの中でぐらい、ゴツいおっさんである自分を解き放ち、世界を駆け巡る美少女として活躍したいという気持ちは痛いほど分かる。いや、分からない。でもまあ、ままあることだよ。いいんだ、ゴツいおっさんで。

「こんにちは」

「こんにちは。ご無沙汰しています」

 まるで、古い友達であるかのように、宮本さんと言葉を交わした。初対面なのに、本当に昔から一緒に戦ってきた同僚のような気がする。ただ、私が知っている宮本さんは美少女だったということだけだ。いわゆる「バ美肉おじさん」、すなわちバーチャル美少女受け肉おじさんは普遍的に実在する。だいたいにおいて、その正体を知らないだけの話だ。

「いやー、実は相談がありまして」

 画面の向こうでゴツいおっさんがもじもじしている。古い友達であるかのような距離感を覚えながらも初対面なのだから、間合いがつかめないのはお互い様だ。っていうか、宮本さんが頬を赤らめているのを見て、むしろゲームの中の美少女がゴツいおっさんである宮本さんのキャラクターを操作しているのかという錯覚すら覚える。しかも、その着ているTシャツがどこぞの焼き肉店のプリントがしてあるのは、それは本職なのか、それとも普段着なのか。ビデチャとはいえ、誰かにモノを頼むときはもう少しまともな格好をするべきではないのか。襟付きのシャツでもポロシャツでもいいから、なんかほかに着るべきものはないの。

 そう広くはない部屋の窓には、降りしきる雪が、外の世界を窓枠ごと真っ白に染め上げていた。

「はい、まあ、私にお役に立てることでしたら」何の相談だか分からない。カネを貸せとかそういう話でないことを祈るのみだ。「掻い摘んで内容を教えてください」

「はあ、それが、ちょっと相談できる人が少なくて」宮本さんはゴツいおっさんなのに相変わらず美少女のようにモジモジしている。

「そうなんですか。宮本さんは何をされている方なんですか」

「福井で技術者をやっているんです」宮本さんは野太い声で身の上を放し始めた。「大阪で大学を出て仕事をしていたのですが、親の事情で帰ってきて、ずっとこっちで働いているんです」

 どうやら宮本さんはまともな人であるらしい。仕事や暮らしには満足していること、実家を継ぐつもりで戻ってみたがその仕事はもはや成り立たず数年もしないうちに畳んだこと、大阪では見つけられなかった嫁が過疎化の進む地元なのにすぐにご縁があって結婚したこと、お子さんが生まれて孫が抱けた直後に老母が他界して落ち込んだこと…………

 まっすぐに生きてきた、おっさんの人生だ。そう思った。

「で、どういったご相談でしょう」

 少し打ち解けて、宮本さんも緊張が緩んだのか、穏やかな表情で微笑んでいる。

「実は、仕事のことなんです」

「仕事、ですか」

「おーいちょっと、ヒロトシ(仮名)」

 ゴツいおっさんは、筋肉と脂肪でたくましくも太ましい腕を振って、奥にいる「ヒロトシ」を呼ぶと、明らかにゴツいおっさんの体格が遺伝したゴツい兄さんであるヒロトシが現れた。

 ヒロトシの大きな特徴で言うと、その立派な上半身を、車いすが支えていることだった。

「おい、自己紹介しろ」

「こんにちは、ヒロトシです」

 高校生ぐらいだろうか。立派な体格、車いす、それでいて、聡明そうな目つきとはっきりした受け答え。

「ちょっと事故があって、足、動かなくなっちゃったんですよ」

 まるでテーブルの味噌汁でもこぼしたかのように、あっさりと半身不随について快活に説明する親子を見て、私は軽く動揺した。

「え、大丈夫なんですか」

「全然大丈夫じゃないですけど、もう仕方ないと思って」ヒロトシはこともなげに言った。「ずっと、中学高校とバスケやってたんですよ」

 私にソツなく事情を話すヒロトシを見やってから、宮本さんは言った。

「福井を、出ようと思っているんです」

 また、あっさりと宮本さんは話した。それ、初対面の私に言うことか。

「それがご相談でしょうか」

「そうなんですよ。ずっとこっちで暮らしてきて、親戚も身寄りも少ないので、いっそ大阪か東京か、この子が暮らしやすいところへ移りたいと」

「なるほど」

 地方での暮らしは、身体が不自由な人に厳しいことを、親子は実例を交えて話した。車での移動、起伏の激しい自宅近所、段差の多い環境。親切な人は多いけど、何よりも困るのは生活費だ。

「成績も悪くないし、地元か大阪の大学にヒロトシをやろうと思ったんですけどね。田舎の稼ぎじゃ、とてもとても」

「で、ご家族で都会に出ようと」

「そうですね。こっちでヒロトシが大学を出ても、この脚じゃ仕事もないから」

 ゴツいおっさんは、いつしか真剣に息子を心配する父親の顔つきになっていた。美少女だった宮本さんはもう脳内から消え、人生の立て直しを模索する、善良な親父の、苦悩する姿だった。

 羽田空港の到着口は、出迎える人でごった返していた。

 両手に大きなスーツケースを抱え、宮本さん一家は着ぶくれして汗をかきつつ団子になって出てきた。この場で初めて、宮本家にはヒロトシの下に妹が二人いることを知る。

 宮本さんの奥さんから、お手数をおかけしますと深々と挨拶をされた。ゴツい宮本さんとやや似た体形をした、絵本に出てくる「かあちゃん」がそのまま飛び出てきたような、どっしりとした、それでいて底抜けに優しそうな奥さんだった。ビデチャで物おじしない高校生のように見えたヒロトシは、確かにこういう両親に育てられているから芯がしっかりしているのだな、とぼんやり思った。福井土産を手渡され、文字通りおのぼりさんになっている宮本家の腹ごしらえにラーメン屋につきそうと、外は一層の大雨になった。

「冬に東京でこんなに雨が降るのは珍しいんですよ」物凄い勢いでラーメンを頬張る宮本一家に声をかけた。「普段は冬は凄く乾燥していてね」

「こっちに来る飛行機も、大雪だったし本当に飛ぶか心配だったんですよね。飛んでよかった」汁まで飲み干す宮本さんは、さらに滝のような汗を流す。「東京は、暖かいんですねえ」

「もはや、熱帯みたいなもんですよ」

 愛車に大量の荷物と宮本一家を乗せ、そのまま首都高経由で転居予定の柏市へ向かった。どこまでも続く町、立ち並ぶビル、ぞろぞろと歩く人の群れ。車窓につく雨粒に散らされる街の光が、初体験の摩天楼を眺める一家を映し出す。初めて見たなら、ビビるよな。東京では見慣れた光景の一つひとつを見るたび、ヒロトシが、また妹ちゃんたちが車の中で歓声を上げる。

 これから、東京や千葉で暮らすんだよ。当たり前の景色にならないうちに、この違和感や感動を胸に焼き付けておいて欲しい。バックミラーで、宮本さんが奥さんの手をそっと握っているのを見た。

 東京に身寄りのない宮本さんにとっては、関東圏への引っ越しは異世界に突入するも同然だった。まるで、ゲームの世界にニューキャラクターで放り出されるようなものだ。かといって、障害を抱えた息子さん含めご家族と田舎暮らしをしても未来はないという。都会で暮らす私にはその感覚は分からぬ。

 大雨を切り裂くように車はゆったりと走り、やがて柏の市街地から少し離れたところにある宮本家の新居に到着した。そこには、私の家内や三兄弟、東京に住むゲーム仲間がすでに集まって、先に着いた段ボールから食器や身の回りの物を出したり、電球をつけたり、ちょっとした掃除をしたりしていた。

 宮本さんが東京に移るということをゲーム仲間に知らせると、昔を懐かしむかのように東京近郊に住んでいるプレイヤーたちが7人も駆けつけてくれた。何この謎の連帯感。新婚ホヤホヤの女性もいれば、浪人生もいた。壁に映したスクリーンに、往年のゲーム画面動画が投じられると、ああ、いっぱい時間を使ったなあ、という甘い記憶が去来する。昔このゲームに同じく時間を費やした、ネットゲームでだけの友人関係がリアルに繋がり、宮本さんの新居でちょっとした歓迎会を開くようになって、東京に身寄りのない宮本さんにとっては一気に冒険に出るパーティが揃ったも同然になった。ゲーム画面を開き、LobiやDiscordで連絡の取れる元ギルド員には片っ端から声をかけて、盛大に宮本家の上京を祝った。

「まるで、ゲーム内みたいだなあ」

 しみじみと、宮本さんは言った。いやまあ、ゲームで知り合ったメンバーだし、関東圏での暮らしなんてターミナル駅はダンジョンみたいで、日々冒険のようなものだから。持ち寄った酒が開けられ、頼んでいた食事が次々と届くと、宴会は降りしきる雨と共に夜まで続いた。

 関東圏への引っ越しがすぐに決行されたのも、このゲーム仲間のツテで、プログラマーを探していた転職先がすぐに見つかり、あっという間に話が進んだことによる。給料も倍増と聞いたが、東京で一家5人が暮らすには微妙な雰囲気もするが、あれよあれよという間に段取りがまとまっていく。ヒロトシや妹たちの学校編入もすんなり決まり、東京移住を決断した宮本さんの動きは早かった。こんなに上手くいく上京も珍しい。まるで、東京の雨雲が宮本一家を呼んだかのようだった。

「こんな俺のために、みんなお世話をしてくれて、本当にありがとう。こんな素晴らしいことになるなんて、全然思ってもいなかったけど、今日からみんなが家族、身寄りだと感じます!」

 酒が進み、感極まった宮本さんが、集まったみんなに涙ぐみながら感謝の言葉を野太い大声で伝え始めると、突然、窓外の豪雨の中を閃光が貫いた。まだカーテンもない窓から集まった面々の顔を照らす。少しのち、ゴロゴロという大きな雷鳴が宮本さんの言葉をかき消すと、吹き出す寸前だったプレイヤーたちがこらえきれなくなって大爆笑をした。

「美少女まるちゃん、おめでとう!!」

 酒の回った浪人生が叫ぶと、事情を知らない宮本家の奥さんやお子さん、拙宅山本家の家族はきょとんとした。

「これが、宮本さんのキャラのまるちゃんです!」

 壁には一面の魔法少女が映し出されていた。これだ。これが、私の知っている宮本さんだ。一瞬間をおいて、ヒロトシが笑い始めた。車いすから転げ落ちんばかりに。宮本さんの奥さんも、うちの家内も、顔を見合わせて笑っている。その当時は何とも思わなかったが… 半裸だ。何というか、セクシーだ。中身は完全に、ゴツいおっさんだ。面白すぎる。

 すでに寝落ちしていた拙宅三兄弟をそっとタオルケットにくるんで車に乗せると、シラフの私はハッピーエンドから新しい生活に踏み出す宮本家の祝福をしつつ、会場を後にした。相変わらず雷鳴はゴロゴロいっていた。柏の荒天が宮本一家を歓迎しているかのようだった。

 一年ほど経って、奇しくも、そこで出会った元浪人生とヒロトシは同じ国立大学にこの春から通い始めた。祝入学の立看板の前で、元浪人生がドヤ顔でヒロトシの車いすを押している写真がFacebookに流れてきて、私は思わず泣きそうになった。

(このテキストはフィクションです。実在の人物、団体などとは無関係です。)

神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント