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「対策協議」のための会議に出ていて、いつも思うこと

 会議すること自体はいいんですよ。

 必要なことですし、意見合わせは大事ですからね。

 ただ、いろいろ参加していて気になることがあります。それは「ここにいるメンバーが、仮に100%のパフォーマンスを発揮しても、いま語られている問題は解決しないのではないか?」という点で、せっかく問題の認識を固め、一つの方向に意識合わせをしても、それを解決するために汗をかくのは現場であって、新たな方針が打ち立てられるごとに現場が疲弊するだけなのではないか?と思ったりもします。

 悲しいことに、アナリストは大所高所から知見を述べ、それが正しいとしても、打ち出された対策を検証し実行するのは現場です。もちろん「こうあるべき」「こうしよう」という議論は誠に結構。おおいに議論しましょう。

 でもそれ、誰がやるの。

 ワイらが結局方針に沿って全部方法論考えて、コミュニケーション取って、実施計画立てて頑張らないといけない。まあ、役割の違いである、と言われればその通り。ただ、リソースを考えず、それを実施するプロセスがはっきりしないところで「かくあるべき」と言われても画餅でんがなとしか思えない。

 できないことを、できる、僕に任せてください、と大見得を切って失敗する若者が出て、会議するたびに犠牲者が出るのは、その方針に基づいて策定するプロセスに見合うリソースが提供されないことが多いからなのです。そして、意欲ある若者が前線で孤立して死んでいく。あ、比喩ですけど。でもあ、ほんとそんな感じ。

例えて言うなら、目の前曹操軍20万が迫ってきました! よし、騎兵4,000出すから張郃頑張って防いでこい、みたいな。

 絶対死ぬやんけ。

 それ、戦おうとするな、同盟含めた戦略で何とかして欲しいと思うわけです。少なくとも戦術で抗おう、寡兵の善戦を前提に計画立てないで欲しいんですよ。

 みんな死ぬから。

 まあ、やれと言われれば頑張るんでしょうけど、せいぜい偵察か、足止めぐらいしかできませんよねえ。

 皆さん、立派なことは、仰るんです。それができればベストですよねえ。わかるわかる。

 でも、見積もりの甘いシステム開発とか、足りないリソースで始める大プロジェクトとか、およそ「このメリットを実現するために(リスクを回避するために)、このコストをかけて、こういうベネフィットを確保しよう」という損得勘定が飛んでってしまう。

 だからこそ、公的予算ならリスクなく入ってくる実入りだから、利権を感じてぶら下がりにくる民間しかいなくて、いざ戦争になるとリスクがあるからみんな逃げていくんですよね。そういう傭兵の気持ちもわかる。無謀な作戦で死にたくないから。

 で、弱い立場の人が押し付けられて、死んでいく。これの繰り返しで、物事が良くなるはずがないんですよね。

さらに悪いことに、みんなそんなことは百も承知である。この予算でできないってことは、みんな知ってるんですよ。よーく分かってる。でも目先の40億とか取りに行く、無駄金になると分かってて。

  で、最後は立派な失敗プロジェクトになって、やっぱり駄目でしたという総括があり、また無駄金使って意味のないことをしましたと新聞報道でぶん殴られて訃報を知る。あのとき、手を上げた若者は吊るし上げられて精神を崩して業界からいなくなっていく。

 なんかこう、学園祭の初日を繰り返しておるような、そんな気分になるのです。悪夢なら、早めに覚めてほしいんですけどね。

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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント