「頭のいい人が集まっているはずの組織」の問題点
文藝春秋から本を出すので、それまで書いた連載記事を読み直す作業をしていたときに「そういえば、記事書くときに参考にしたあの仕事、いまどうなったんだっけ」という事例がいくつも出てきて心配になります。
例えば、まだ仕事ではお付き合いがあるものの、かつてほど熱心にご一緒するわけでもなくなった会社さんの件で言うと、こんな記事があります。
問題ない範囲内で言うと、充分に利益も出ているし、連戦連勝、業界内では押しも押されぬリーディングカンパニーであることは事実で、海外にも事業所を出そうとか、頑張ってベンチャー投資を進めようとか、事業全体が次のフェイズに行くために何をするべきかを模索するべき時期に達しているようには見えます。
ただし、実際にその上層部で起きていたことは記事でも書いた通り経営者が大手コンサルタント会社や著名ジャーナリストらが吹き込んでくるビッグワードに乗せられてその気になり「これは、弊社でもできるんじゃないか」とか「次の時代はこれだ。だから俺たちはやるんだ」と突然情熱的に経営者自らが陣頭指揮を執って始めようとするわけなんですよね。
このたび出した「ズレずに生き抜く」では、この辺のエピソードを加筆をしたんですが、ゲラをいれた後で、経営者肝入りのこだわり事業が低迷して他の事業部と合併をし、そのこだわり事業の責任者は執行役員を退任することが発表されてしまいました。それ見て思わず「大丈夫なの」とメールを打ってしまったのですが、それはもう長い長い愚痴のような釈明のような、新感覚の返答を戴いたのはいい思い出です。辛かったんだな、と。
経営者は、ワンマンかどうかに限らず、多かれ少なかれ強いリーダーシップと何かにフォーカスする凄い集中力を持ち合わせているからこそ、株式上場したり、人数が増えても企業を成長に導けるという側面はあります。
しかしながら、残念なことに人には知性と、知性に裏打ちされた「器」のようなものがあり、組織も業績もこの「器」以上にはなかなか成長しないという側面もまたあります。運が良くてリーダーシップや集中力が強いだけでは「一芸」「上場ゴール」まではできても、その次がなかなか続かないというのもまた摂理のように思います。
だからこそ、自分の知性に限界を感じたり、部下からの提案に乗ることを決断しきれないがゆえに、外部のコンサルタント会社を使ったり、上場したときに仲良くなった証券会社の人物を知恵袋にしたりするんだとは思います。そして、彼らは飯のタネや己の野望もあって、経営者に囁くんですよね。「これからの時代はクラウドですよ」「ビッグデータこそ宝の山ですよ」「人工知能をやれば、業績はいずれうなぎ上りになりますよ」と。最後に効くのは「同業他社の、あそこも進出するらしいですよ」って話で。
経営者って、孤独なんだろうなあと思いますね。真の意味で、相談できる相手がなかなか見つからない。だからこそ、思い込んだらどこまでも突き詰められるという美徳がある反面、必ずしも自分の中の発案ではないビッグワードを独りよがりに消化し、それに「大将、それ間違ってまっせ」と言える人をなかなかそばに置くことができません。
結果として、ビッグワードを吹き込まれた経営者が思い付きで出した指示に振り回されるのは、社内の幹部だったり若手だったり、上手い具合に使い捨てられやすそうな人たちが出てくることになる。しかも、困ったことに「うちの会社は決断が遅くなった。これこそ大企業病だ。スピードが大事だ」「そうですね、旦那」という茶坊主選手権も起きる。
何かに果敢に取り組むことは素晴らしいと思うんです。ただ、見ていて思うのは「それがあなたがたのビジネスの事業領域や、主たる顧客にもたらせるバリューにどれだけの貢献をするんですか」っていう、仕事をしていれば当然のように弾くソロバンが立たないときが、一番失敗するんですよね。
会社が小さいうちは、経営者の勘で「いいからやるんだよ」で済んだ話が、組織の意志決定に時間がかかるようになります。法務や顧問弁護士の見解も聞く、マーケティングやフィージビリティスタディもやる、という「ちゃんとキックオフする」という手続きを経営者が「面倒くさい」と思った瞬間に、その経営者の成長が止まり、組織もまただんだん駄目になっていくシグナルを点灯させるのだ、ということでしょう。
まあ、それもこれも、なかなか全部をうまくやるのはむつかしい。経営者はいろいろと失敗しながら、成長できるのかどうかがすべてなんじゃないかと最近は思うようになってきました。
神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント