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君、消え給うことなかれ

 増田にこんな記事が出ていました。

 まだ若い書き手でしょうに、なんて誠実な人なんでしょう…。

 もちろん、界隈が狭いのは事実ですし、身バレを防ぐためにもボカして書いておられるとは思いますが、単なる身の上話で留まらない内容だったので、雑感のように思うことを書いてみたくなりました。

 私は47歳、書き手としてのキャリアで言えば24年ほど、ネットでは高校時代からパソコン通信をやっていますので30年ぐらいやってきている、現役の書き手です。

 最初に書かなければならないのは、実名である「山本一郎」で書いているのは「読者と一緒に歳をとっても良いオフィシャルの書き物」がほとんどです。文春や現代など、ウェブ連載や様々な媒体の特集記事は実名でやりますが、私の年代で活躍していた他の書き手さんがどんどん消えていって、なぜか生き残り組になりました。結果的に私の想定読者は主に、というかほとんど男性、35歳から50代後半ぐらいが8割という、媒体からは属性の分かりやすい書き手として起用されることになります。逆に言えば、女性や高齢者にはまったくウケない書き手である一方、タイトルと書き出しで「あ、これは山本一郎の記事だ」と読み手の皆さんにすぐ分かるような文体を作り上げてどうにか生き延びてきました。ありがとうございます。

 作家活動は、この「山本一郎」という、良い意味でも悪い意味でもアクの強い名前が邪魔になりますので、ほぼすべてがペンネームでの執筆になります。よく、なんだこいつと言われます。ライト文芸もあわせて出版は年3冊が限度ですが、それ以外に原作協力や企画制作、メディアミックス、ドラマなど映像作品のリサーチ、設定出し、シリーズ構成、脚本補助など、特異な実録系分野の創作で声がかかれば何でもやります。その意味では、この増田で書かれている雑誌連載や単行本で300万という比較で言えば、何でもやっている分、私はもう少し稼ぎます。

 私の強みは本業が別にあり、そっちで稼ぐだけでなく、企画ネタや人物描写などインプットがリアルタイムで豊富にあることです。若い頃は仕事もやり、実名記事も書き、創作活動も自分の可能な限りどんどん手がけました。連載執筆や映像作品(ドラマなど)のリサーチ・シリーズ構成、漫画原作、ソーシャルゲーム向けのシナリオなどの書きものに1日4時間まで、文春や現代など実録系のウェブ連載に1日3時間までと時間を決めて、ただ締め切り前や詰めなければならない仕事があるときは徹夜してでも仕上げる、というスタイルでずっと続けてきました。原動力は「その仕事が面白いかどうか」です。

 収入面で言えば、作家仕事の時間当たりの単価は確かに安くなる一方、若いころのような馬力ですべての仕事を一気にやることができなくなって、働き方を組み替えました。端的に言いますと、実家の介護が発生し、また結婚して子どももできたので家庭中心にならざるを得なくなったので、本業で時間拘束のある業務は全部辞めて、セミリタイアみたいな状態になりました。その分、非定形の仕事、考える仕事、コンサルのような必要なときに知見を活かす仕事をメインにしながら、子どもの遊びに付き合ったり、子どもや老親を送迎したりするときのすきまの空き時間を使ってたくさん記事ネタのメモを作り、繋ぎ合わせて執筆するという方法で効率を引き上げています。

 創作に付随する仕事の割合が大きいのが私の特徴ですが、コロナのお陰で講演や共同作業がごそっと減った一方、ライト文芸のご依頼が増えたのと、他の人のキャンセルになった仕事が一気に来たのでコロナバブルがやってきました。アニメはほとんど観ないのに、アニメの仕事がいっぱいやって来るのは「とりあえず何でも器用に請けることを心掛けている」ことと「納期は必ず守る」からだと個人的には思っています。アニメと言えど他の映像作品と同じように作っていますが、アニメが好きな人のツボはアニメを作る人が一番良く分かっているので、そこを任せながら作家性をいかに発揮するかに腐心するのが仕事のうちです。

 ただし、それもこれも、私の場合は「別に本業がある」こと、そして「資産があるので、何とでも食える」ので、多少の苦労は苦労ではなくなっていることがあるかもしれません。目先のカネにこだわらず、面白いし楽しいからYoutubeをやり、交流をしたいから有料サロンを運営してもらっています。「面白そうだ」となれば、どこにでも出ていくのが大事で、そこにお客さまがいるのならば、自分のちっぽけなこだわりなど捨てて、書き手として生き残るために何でもやってみよう、やり切ってみようと思います。youtubeも半年前に手で自撮りという雑なところから始めて登録者2万人、有料メルマガは8年目、サロンも5年目ですか。兼業だから、リスクが取れる、かかった声は何でも請ける、頑張って続けていけば光も見えるだろうとやり続けてきた30年でした。

 なので、この増田に書かれている専業の書き手を尊敬します。私には専業作家はできません。とても、羨ましく思います。専業で、これ一本でやれることの良さというのは、やはりあると思うのです。ああ、この作品はもっと時間をかけて書き上げたかったなあ、いろいろ盛り込みたかったなあというものもたくさんあります。また、最後に「なんとかしてこの仕事を続けたいとは思っている」というのは心から応援したいです。たぶん、専業か兼業かではなく、何かを作り続けていきたいと思えることが、何よりも大事なことだと感じているので。

 身の回りを見ると、心の折れた人から消えていきます。人間、最初から夢に手が届かなかった人はいくらでも再出発できるけど、うっかりやりたいことの夢に手がかかった人が挫折するときのほうが、どーんと落ち込むものです。消えた人を見ていると、兼業の書き手が売れて専業でやれるようになったけど、何かの事情で続けていけなくなり、兼業に戻ったところで意欲を失って機影がレーダーから見えなくなるんです。

 まあ… あとは編集者さんとの距離感とか、書けるテーマや声をかけてくれるネタの旬とかもありますからね… 巡り合わせも含めて、なかなか自分の力ではどうにもならない、むつかしいところはあるかもしれません。ただ、周囲はどうであれ、面白いと思ったものをどんどん吹っ掛けていくことで状況が改善されたり、どんなことがあっても締め切りを守る、ステマはしない、といった心構えはどうしても必要なのかなと。

 何よりも、何が面白いと思い、面白いものを実現していけるかに尽きるのですが、世の中にある様々なものが面白いと思えなくなったときに、書き手としては寿命を終えたときなのでしょう。読み手の共感を呼べなくなった書き手はロートルとなり、政権批判をしたりあるある話で作品をまとめようとしたときに穏やかな死を迎えるのだと思いますが、人生の最後まで生き残り死に抗いたいという気持ちをどこまで持ち続けられるのかなあと。

 同年代で消えていった作家の顔が浮かぶけど書くのはやめました…。ともあれ、元増田さんの創作活動に光あれと心から思います。


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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント