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『反日種族主義』(李栄薫・原著)は韓国世情解説本ではあってもヘイト本じゃなくない?

 タサヤマさんのnoteをふんふん読んでいて、途中で何故か本書『反日種族主義』がヘイト本扱いをされるような文脈で出てきて椅子から落ちそうになりました。

 どうしてこうなってるんだろう。

 確かにタイトルは煽り気味ではありますが、韓国でベストセラーになった本書は、むしろ実例を挙げながら煽動的な言論に左右されやすい韓国の国内世論についての警鐘も含めた世情解説をしているものであって、ダイレクトに韓国の反日活動を批判して韓国国民を侮辱するようなヘイト本とは言えないのではないか、と思います。

 下手をすると、手に取ってしっかりお読みになっていないのではないかと…。

 もちろん、タサヤマさんの一連の議論は興味深いところも多く、同時に首肯するところも多々ありますので、これはこれでご一読いただければと思うわけですけれども、永江本批判(『私は本屋が好きでした』)の文脈で『反日種族主義』が取り上げられているというのはちょっと意外でした。それも、百田尚樹さんの『日本国紀』『今こそ、韓国に謝ろう』や池田信夫さんの『「日本史」の終わり』などと同列に並んでいるのです。これなら、類書としてケント・ギルバートさんの『中韓が繰り返す「反日」歴史戦を暴く』や上念司さんの『経済で読み解く大東亜戦争』など、特定の方面の読者が買い集める雰囲気の類書はたくさんあります。

⑥ヘイト本の明確な選別基準を示さずに、その選別責任を本屋に課したことただその場合、書店はどこで「ヘイト本」と「非ヘイト本」の線引きをすればいいのでしょうか。
神原弁護士のいう「正しい情報」をどのように判断すればいいのでしょうか。
與那覇潤『中国化する日本』、與那覇潤・池田信夫『「日本史」の終わり』、百田尚樹『日本国紀』、石平『なぜ中国は日本に憧れ続けているのか』。
浅羽祐樹・木村幹・安田峰俊 『だまされないための「韓国」』、李栄薫編『反日種族主義』、髙橋洋一『韓国、ウソの代償』。百田尚樹『今こそ、韓国に謝ろう』。
和田春樹『韓国併合 110年後の真実』、呉善花『韓国併合への道 完全版』、崔基鎬『韓国がタブーにする日韓併合の真実』。

 個人的に一連の議論を見ていて思ったのは、書店員は確かに書籍に詳しく分野を超えていろんな知見を持っておられる方は多いが、それでも持てる知識は有限であり、すべての本に同じ深さで読み解けるほどの幅広さは期待ができないので、書店でのヘイト本の取り扱い方ひとつとっても結局「何がヘイト本か」というべき論に戻っていかざるを得ないのかな、という点です。

 これは、単純に本屋さんという売り場で、商品構成こそがその本屋さんの特徴であり差別化である業態が、氾濫する、しかもそこそこ売れるヘイト本に対する複雑な心境をまだ咀嚼・整理しきれていないのだろうと思ったりもします。

 私がなぜ『反日種族主義』に反応したのかは、ぜひ本書を手に取ってご一読いただきたいと思うからです。面白いと言ったら失礼かもしれませんが、非常に興味深いし、私の身近にいる韓国人ビジネスマンに対する理解においても「ああ、なるほど。そういうことだったのかな」と思う部分が多々あります。

 そのうえで、日本に留学経験のある韓国人の友人から「『反日種族主義』は俺が見てもその通りだと思うし、韓国社会の一面として凄く正しいと感じるから売れたんだよね」と薦められたのもあり、個人的にはヘイト本の枠内に入ってしまうことへの違和感は物凄く強く感じられました。

 また、タイムリーなことにさっき執筆しましたが、『中国の大プロパガンダ――恐るべき「大外宣」の実態』(何清漣・著、福島香織・訳)もかなりの逸品でした。『反日種族主義』がヘイト本の線引きの俎上に載るのならば、本書もそういう扱いになってしまうのでありましょうか。

 議論の概ねにおいて、永江朗さんの主張も、それに対するタサヤマさんほかの批判・反論も、中身はとても良く理解できますし、書店を愛する人たちだからこそ激論となって多くの人が関心を持ち状況が読み解かれているのだと思います。

 個人的には、ヘイトの界隈も広いので単に好き嫌いの議論になっていないか、売るためのタイトルに引っ張られて中身の精査がおざなりになっていないか、読者の知的好奇心の充足に資する質の高い本であるのかどうかも含めて、広く「売れているヘイト本に対する是非」が議論されるといいなと思いました。

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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント