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プロパガンダと戦略思考

 平均年齢80歳近い会議(という名の宴会)で断トツの若者代表47歳として参列して、しかし発言権はほぼ与えられず、6時間耐久フラワーロックをやって帰ってきたら午前2時を過ぎていたんですよ。ジジイども、元気です。と揶揄っぽく書くと「読んだよ」と電話をされてしまうので穏便に書くわけですが、エネルギーの余っている三兄弟を連れて45分のジョギングをした後で急遽飲めや歌えの三密現場に放り込まれたこともあって、むしろ睡魔との戦いでございました。疲れた。

 でまあ、高齢者になっても第一線で頑張っているお年寄りは偉大だなあと思うのは「まだまだ勉強が足りない」「現状を教えてくれ」という真摯に学ぶワードがどんどん飛び交うことであり、独演会を始めがちないわゆる「老害」とは一線を画す人の優れたところは「人の話を聞く姿勢」にあるのだと思っています。畳の上でずっと座っていると足が激しく痺れること以外は、非常に有意義な場であったというのは良いことなのか。

 懸案はプロパガンダとポジショントークの話なのですが、まあ要するに、フェイクニュースというのはあたかもネットで勃発すると思われがちだけれども、その実はマスコミが報じたものや番組で取り上げたもののリアクションとしてネットで騒動になることのほうが圧倒的なのです。アメリカやEUの情報担当者の人たちと話が合わないのは日本の圧倒的なメディアオリエンテッドの情報拡散&リテラシー状況であって、例えば企業や政府がネットを見てガセネタ乱舞で困ったなと思って対策を検討しようとすると、実はそれらは新聞社や通信社、大手雑誌などが流した情報がネットに流れて拡散し、さらにそれに尾ひれがついて大炎上しているのだということが分かります。

 お年寄りでも重鎮の人たちは「新聞社こそ命」というけれど、昨今の情勢で申し上げれば「記事こそ起点」そして「記事を書く記者が新聞社の本丸」であることに気づきます。事件であれ論説であれ高い見識を持つ記者が放つ記事が持つ影響力は日本社会を大きく動かし、一時期は死んだものとみなされていた『議題設定能力』仮説は皮肉なことにネット社会になって逆にその存在が証明されてしまったのだとも言えます。

 こういう世の中の構造を解き明かしたのは計算社会科学の功績に他ならないわけですが、中心となるのはPageRank(媒介中心性など)であり、これは少し前までインフルエンサーと呼ばれていたものです。話の振り出し(記事)があり、それを取り上げて拡散するインフルエンサーが媒介となって情報が拡散していく。ただし、インフルエンサーは固有のクラスター適性のようなものがあり、虎ノ門ニュースとか文化人TVなどを見ている人は右翼にしか、逆にBuzzFeedやリテラ、朝日毎日東京共同を愛する左翼はより左翼に関係性を広げるのみで、本当のプロパガンダを担うには火力が全く足りないことが分かってきた。

 ここで問題となるのは「離れたクラスター同士のハブ」となるノードを支える人物たちで、この人たちがある種中道にいて、政権支持に振れたり批判側に流れたりしながらふらふらとベクトルを動かしているが、特定の人たちが流そうとしているバイアスのかかった記事(例えばポンペオ万歳とかファーウェイは最強とか)については必ず反応してたりするんすよ。

 結果として、どうもこの辺が日本の世論、とりわけ中間層で政権を支持したり不支持に回ったりする人たちの政治観の先行指数になりそうだ、ということが分かってくるわけでありまして、そうなるといままでは右に産経読売、左に朝日毎日東京共同と別れて石やうんこを投げ合っていたのは実は非常にナンセンスなのではないかと気づくのです。

 もっとも、そういう中道に影響力を持ちそうなノードを細かく見ていくと、実際には坂上忍が嫌いすぎて馬鹿にしていたり、そこまで言って委員会に毎週反応しているクラスターだったり、また特に大きいのは文春や新潮のような時事問題を先導するメディアに対するロイヤリティが凄く高かったりする。

 そういう欧米から見れば大衆メディアにすぎないセンセーショナルな記事によるスキャンダルが日本政治を動かしていることこそ、大手メディアが記者クラブの中で既得権益に守られて仕事をしてきたオールド日本のメディア状況の殻を実際に破り、政治に大きな影響力を持つに至ったともいえるのです。

 逆に最近になって某海外媒体や外人の有識者がじわじわと日本の中道のノードに浸透してきているのは不気味であって、やはりそういう分析をしっかりやっている隣の大きい国が意図的にそういう仕込みを始めているのかなというアラートにはなるのです。だからといって、そういうものを防げという話ではなく、アメリカにはアメリカの、我が国には我が国の社会的特性やメディアの機能・状況というものがあるので、適宜状況を観察しながら「あ、彼らはこういうことを仕掛けようとしているのだな」と察知することが重要で、そういうサーベイランスこそ風向き調査が取り組むべき課題なのだろうと思うのです。

 国民は政治家に政策を求めるけど、政治家は政局に関心を持ち、報道は結果として国民と政治家を分断する報道をしてしまうわけで、多くの場合、国民と政治家の間は常に遠心力が働いているとも言えます。計量的には(日本の)すべての選挙は自民党への信任・不信任投票である、という感じが拭えないぐらいどの選挙も綺麗に得票が政権支持率をベースに(最終的に)動くのもまた事実なので、国民が本当の意味で豊かになる政策を実現するために政治家が汗をかき続けることもないのだろうなあとも思います。

 そういう状況にあって、戦略もへったくれもないよなあというのもまた事実なので、政治全体がどんどん近視眼的に、興味のある人は常に政治に不満を持ち、興味のない人は漠然とした政治不信に陥るという結論になるのかなあと思うのでありました。

 疲れたのでもう寝ます。

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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント