サウナ好きを公言するのはヘイトスピーチか(追記あり)
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サウナ好きを公言するのはヘイトスピーチか(追記あり)

山本一郎(やまもといちろう)

 結論から言うと、誰かが「サウナが好き」といったところで、まったくヘイトスピーチじゃないんですよね。

 もうかなり前にカミングアウトしていますが、私は「脳動静脈瘤奇形(AVM)」という、脳の中にある血管が蛇行するなどして一部石灰化し、玉のようなものが細い血管にぶら下がっている、というハイリスクな持病を抱えています。非常に珍しいとはいえ、国内にも十万人単位でこの病気(というか体質)で悩んでいる人はいます。

 なにぶん脳内に脳みそではない石が血管にくっついているということですから、一定の割合で脳内出血をするという頭の中に爆弾を抱えたような状態で日々を暮らしています。この病気の怖いことは、本当に脳溢血を起こして亡くなったり、どうにかなっても大きな後遺症をもらってしまう予後が多いことなんですよ。定期的にMRIなど撮影していますが、毎年コンマ何ミリか元気に育っており、毎日リスク増大中です。

 ほっとくとハイリスクはハイリスクなんですが、ガンマナイフという処置や、開頭手術をして問題の血管をクリップで止めるという方法を取ったところで、今度は石のある場所ゆえに視神経を傷つけたり、処置をしてもそこまで脳内出血のリスクは下がらないというのが難点です。

 それもあって、私は30歳のときにこの石が見つかって、悩んだ挙句温存療法にすることを決めた際は、まだ独身であったし、悲しむとしても老親ぐらいだろうと言うことで、リスクを気にすることなくビールを飲みながら暮らしていました。

 なんせ、人間ドックで「脳に影がある」と異常診断され、悪性の脳腫瘍かもしれないので精密検査をと言われ、なかなかMRIの予約が取れない数カ月のほうが人生最大のストレスだったかもしれません。んな30歳で脳腫瘍とか死んでもおかしく無い奴じゃん、なんで私が、と思いましたけれども、死んでも一人、残念な人生だったなと思うぐらいで誰も傷つかないならいいかと思って確定診断を貰ったら脳動静脈流奇形という聞きなれない病気だったよ、なんだ、すぐ死ぬわけじゃないんだ、と変な安堵をしたのがいまでも記憶に残ります。

 ところが、34歳でいまの家内と巡り合い、35歳で幸せな結婚をし、36歳で長男が、さらには次男が、三男が長女がと家族を抱えるようになると、さすがに瘋癲の私でも「いい歳なんだから、しっかりして長生きしなくては」と思うようになります。30歳のころに決断したことと、そこから18年経って立派なジジイになった48歳現在では人生で考えるべきことも考える優先順位も変わってくるのが人生というものだと気づきました。

 当然タバコはとっくにやめ(32歳で完全禁煙し、その後一本も吸っていません)、ほぼ毎日浴びるように飲んでいたビールも大幅に減らしました。医師からは必ずしもビールなどはドクターストップとは言わないと言われていたのですが、飲酒習慣が血管に良いはずもなく、自分の意志で健康のために酒を減らす判断をしたわけです。

 リスクを抱えているとはいえ、幸いにして日常生活は送ることができます。また、コロナ禍では学校に行かない子どもたちが運動不足になるのを避けるために一緒になってジョギングをしたり、定期的に軽い筋トレするなどして、ギリギリの線で生きてるぞって感じなんですよね。

 なので、見た目は普通なんだけど生命保険にはなかなか入れないし、見えない障害と同じような爆弾持ちであることに間違いはありません。その分、ある程度は、いつ何があってもいいような準備はし、また、日々きちんと目が覚めて、(いろんな波乱やムカつくことはあっても)死ぬことなく一日を安寧のうちに終えられたことについては、毎日神に感謝しています。

 まだ神は私に「生きていていいんだよ」と仰せになっている気がして。

 他方、同じ病気を抱えているAVM患者さんたちが知り合いに多くおります。やはり、いつ脳内で大出血するか分からない病気を抱えて生きていくことで、精神的にしんどい思いをしたり、文字通り恐怖で普通の生活もままならないと訴える人たちも少なくないんです。

 この辺、例えば年間約2%程度の確率で死んでしまう病気と言われてロシアンルーレットを続けていくことが「辛い」と思うかどうかです。

 そして、述べた通り見た目は普通の人とまったく変わらない。でも、この病気を持っているかどうかでまともに働けないとか、ストレスを溜めたら死んでしまうんではないかと思い悩む人たちがたくさんいるということです。

 で、私は気にしないので、たまに友人と酒を飲んだり、子どもたちとランニングしたり、近所の公園で遊ぶ近所の園児たちに「うるせえ」と怒鳴りに来る高齢者のところへ走っていって「お前らこそうるせえ!!」とブチ切れたりします。リアルで血管がブチ切れるリスクがあるけど、そのリスクが分かったうえで日々刻々ブチ切れておるのです。

 そんな私からすると、同じ病気を抱えた同胞たちは愛すべき存在なのだけど、彼らの鬱々たる気持ちを聴いていると「そんなことで悩んだって何一つ貴殿の問題は解決しないだろ」と言いたくなることがあります。突き放しているのではなく、もしもこういうことが起きたらと悩むことで気が晴れるどころか、どんどん沈み込んでいく皆さんを見ると「悩む価値無くない?」と思ってしまうのです。

 随分前ですが、同じ病気の人たちが集まってグループカウンセリングをするという会に呼ばれた際は、私が「人は死ぬときは死ぬし、神に私の魂が召されるまでは全力で生きるべき」という話をしたらドン引きされました。いや、もうなんというか、お前は自殺志願者なのかというぐらいの勢いで。

「あなたの考えには同意できない」「私たちの苦しみを同じ病気を抱えているのに理解していないあなたはおかしい」という反応だったわけですが、私からすれば、せっかく生きているのに、判明しているリスクを恐れてやるべきことをやらないのであれば、生まれてきて意識という恵みを得られたこの輝かしい人生を生き抜く意味がないじゃないかと思うんですよね。

 同じようなことは身体障碍者の人たちが集まるグループホームの世話を町内会で定期的にするにあたり、どうしても「この苦しみを共有している我々」と「そういう我々を世話する義務のある健常者」に分ける壁のようなものを感じることがあります。高齢者の通うデイケアではあまり感じない情念に触れるたび、当事者でないと分からない感覚を共有している人たちと、その共有の外にある人たちを人間は自動的に分別してしまう精神的な作用でもあるのではないかと思うのです。

 そんななか、ライターのヨッピーさんがサウナの話題をnoteに書いていたのを、私が「なんか気持ちよさそうだね」と言葉を添えて同病の人たちの集うFacebookに投稿したんですよ。

 私もこの病気があるのでサウナなんて禁忌中の禁忌で、記憶の限りでは某金融大御所の汚汚御大にサウナ内で手を握られて以来20年以上サウナなんて入っていません。

 死ぬから。

 でも私たちには支えてくれる家族がいたり、人によっては施設関係者の人たちもいて、その人たちは普通に暮らす中でサウナぐらい行くだろうし、ラグジュアリーみのある旅行先や施設の情報をやり取りして「こういうところいいな」とか「いつか家族と行きたいよな」などとやり取りしているから、この程度良いんじゃないかと思ったんですよ。

 ところが、ある中年の同病の士が出てきて曰く「サウナ情報など見たくない。許せない」。

 ブチ切れてるわけですよ。サウナに入れない我々にサウナ情報を提供するのはヘイトスピーチだと。さらに、それに同調する人が何名か出て、そこへいや俺はガンマナイフやって予後が良ければ10年ぶりにサウナぐらい行きたいという反論も出て、大盛り上がりになるわけであります。

 人は誰しも見えない病気や障害、コンプレックスを抱えて生きているもので、それは目に見えて何かが欠損しているものではなく、見えにくいところや内面に問題をもったまま、嫌でも一生付き合っていかなければならないものばかりです。ましてや、私の病気なんておそらくは胎児のときにちょっとした細胞の成長のミスで脳内の血管の造成に先天的な異常が生じたものが、30歳ぐらいのところで具体的に石灰の石として発現してリスクになるものであり、これはもう生まれながらにして一生共に暮していく困った内なる自分に他ならない。

 ただ、他の人たちはそれにそもそも配慮する必要がない世界で暮らしていて、私たちはそういう普通の世界にストレスはありつつ馴染んでくらしていかなければなりません。ある人にとっては糖尿病かもしれないし、別の人は他の慢性疾患かもしれないし、先天的、生活習慣ゆえの問題、精神的なもの、すべてにおいて人間誰しも暮らしていくにあたっては自分を曲げて、妥協し、我慢し、努力して協調できる範囲で協調していかなければならない。

 そういう自分にとって、イラつくポイントが世にあったからと言って、その責任を無神経にサウナ記事を書いたとヨッピーさんを批難しても仕方がないであろうし、世の政策が悪いと恨み言を言っても仕方がないわけですよ。

 何もすべての生活を社会に合わせろ、世間に迎合して暮らしていけという話ではなく、一枚のピザがあって、そこに8人の人がいたのならば8分の1切ずつ手に取って食べることを是として生きるまでのことなんじゃなかろうか、と思うのです。生まれながらにして、各人に配られたカードは変えようがないのならば、その手札の中で最善の選択をし、幸せな人生を送り、最期にはああこれは楽しい日々であったと魂は神の御許に召され、肉体は無事にガスに戻るのが摂理なのだろう、と。

 そんなわけで、みんな病気を抱えて時間がいっぱいあるからか、こんな問題ひとつで二か月近くもごたごた議論していたんです。気になる気持ちは分かるけど、諸葛亮曰く「他にやることは無いのですか」。問題の発端である書き込みをした私はその後何も言わず、くだらねえなと思いながらログを見ていました。

 そんじゃーね。

(追記 17:10)

 「おめーのタイトル画像、鼻の粘膜じゃねーか」というご指摘がありましたw 私も言われてみれば鼻だなと思いましたので、MRI屋さんからいただいたそれっぽい画像をまとめて貼っておきます。個人の内面に関する情報ですので、取扱は丁寧にお願いします。

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山本一郎(やまもといちろう)

神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント

他人にやすやすと「スキ」と言うべきだと思うか? 安売りしてないか?
山本一郎(やまもといちろう)
作家/投資家。当アカウントは概ね個人の意見です。情報法制研究所上席研究員、お座敷置物芸全般。ゲームと読書と野球と調べものと。