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ある和解

 一般にはあまり公開しないのですが、本業の絡みで裁判を起こしていて、昨年20年11月某日に被告から私に慰謝料をお支払いいただくということで和解が成立していました。訴えたのは2018年の春頃ですから、2年ぐらいかけての決着という形になります。

 実際には犬も食わない話、なのですが、関係先に私や私の関係先についての変な文書を回覧して、8割がた事実無根であるので、文書の取り下げと関係先への謝罪を求めておりました。そうしましたところ、関係先と被告の間で私とは全く無関係の土地取引上の問題を起こしていたことが分かり、話が大きく広がり、一部新聞沙汰になってしまいました。

 被告とは私も10年来の友人であり、ある面で、師匠のような立場の御仁でありました。付かず離れずぐらいの距離感でご一緒をしてきたこともあって、愚にもつかない風評に乗っかって私やビジネス上のパートナーについて関係先に誣告や虚偽の情報を流していたのは驚きでしたが、争いの途中で、急転直下で和解の話が出て、本人も和解に応じるとのことで双方代理人が話し合いを始めたときは驚きを通り越して、むしろ切なさすら覚えました。

 金融ビジネスにおいて、私は被告の実績を尊敬していましたし、また、人柄的にも懐の広い紳士的な対応をされてきたのを知っていて、非常に私淑していました。

 一方で、彼自身に関する週刊誌報道以降、大口の取引を次々と失うばかりか、彼のいままで為してきたことからすればちょっとあり得ないような地位の喪失、また、共通の知人・友人に対する態度と関係の急激な悪化を見て、これはただごとではないぞとすら思っていました。本人を取り巻いていた人垣が、サーッと引いていくような、そんな感じでした。

 そしてなぜか、裁判中であるにもかかわらず、それも、被告自らが、私やパートナーに対して酷いことを言い、仕事を突然キャンセルし、関係先に問題を持ち込んだり取引を横取りするような行為をしてきたのに、平然と私に電話やViberをくれます。「一郎君、聞きたいことがあるから、いまから食事に行こう。(私の本宅のある)赤坂まで行くよ」と連絡をしてくるたび、代理人から「絶対に、一対一では会わないように。なんなら面談を断ってください」というやり取りが何度も繰り返されました。

 異変は以前からあって、非常に微妙な暴露本を上梓された後、私的に出版記念のパーティーでは某ママの問題などあり、大変に不思議な空気の会合がありました。私もいたたまれなくなって小一時間で場を辞したわけですが、同席された経営者の皆さんからは「なんだったんだ、あのパーティーは」的な事後報告をいただくたび、私の英断は正しかったという気持ちを当時は抱きました。ただ、いま思い返せば、この時点ですでにおかしくなっていたのかなあという印象があります。

 実際、今回の和解の取り決めには、通り一遍の秘匿(※本稿は被告および被告代理人の了承を得て公開しています)とあわせて、「爾後、同様の問題を再発させない」という文言の代わりに、原告である私どもが「被告の精神的・経済的状況を斟酌し、被告を励まし支援すること」「被告の問題について深く理解して、これ以上の状況の拡大防止に然るべき配慮と手配を行うこと」という謎のお約束をしなければならなくなったのです。

 その後、彼自身が、あれだけ立派な業績を持つ優れたビジネスマンであったにもかかわらず、抵当に入れた居住物件の一階に置いた自転車の月極駐輪代月千円の支払いも滞るほどの経済的苦境にあり、しかし、心底貧乏人は馬鹿にし、地域の保護司の薦めにもかかわらず生活保護の申請も頑として行わず、介護保険で週何度かやってくるヘルパーさんに買い物と掃除を頼みながら一人で老境を過ごしていることを知りました。

 私のビジネスパートナー氏は見かねて、現在進行形であれだけ悪口を言われているにもかかわらず、「昔、彼にはたいへん世話になったから」という心情的な理由で月額少なくない金額の謝礼金を支払ってあげています。

 「麒麟も老いぬれば駑馬に劣る」という言葉と共に、人間の散り際については思うことは多々あります。裁判の過程で、被告代理人がある局面から疾病の名前を陳述で出してきたのを読んで、損害を回復するために民事訴訟をやっている原告であるはずの私ですら、被告の立場を考え、こちらの心に鞭が入るかのような辛さを感じました。

 「私らのような立場は傭兵稼業のようなものであり、誰の旗の下で誰のために正しい行いをするのかが重要」というのは、まぎれもなく被告がまだビジネスマンとして輝いていた時代に、彼からすれば経験が浅く若い私に対して力説していた言葉です。言われてみれば、いま現在、私が親しくさせていただいている経営者たちは、何人も、被告からご紹介された皆さんです。

 そういう優れた人物のピークを知っているからこそ、ピークに向かって人は何をするべきか、そして老境に差し掛かったのだと感じたときにどう自分の人生を手仕舞いしようとするのかは非常に大事なことだと知りました。

 裁判を通じて得たのは、受けた損害に対して補償とはとても言えないような慰謝料の支払いと、どうにもならないことを文書に落としましたという風情の和解文書に過ぎませんが、それよりも、物凄く心が乾いた結末の一件となりました。

(※ 本稿の執筆は2021年1月16日、原告一同、原告代理人と、被告本人および被告代理人の了承を得て、本稿記事を掲載しています。)

(エンドロール的な何か)

 いや、結構大変だったんだよ… 普通に「バーカ」「うるせえバーカ」というような裁判は気楽なんですが、こういう人間の機微に触れるような争いはいつまでも心に残りますね、悪い意味のものが。

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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント