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火鍋チャンネル再起動!&サイバラ炎上前夜祭

 長らくお待たせしておりました、火鍋チャンネルがリブートします!(告知的な何か)

 もともとはご一緒している火鍋屋さん『小肥羊』の青山浩さんの発案で始まったこのプロジェクト、noteでも掲載しております『太腕繁盛記』の場外乱闘的に進めておったのですが、例によってコロナ感染症の拡大とともに小休止に。

 スタッフで運営している火鍋チャンネルのTwitterアカウントも、謎の火鍋の妖精さんが極東ロシアの出張先からうっかりTwitter更新してしまい「不適切な地域からの投稿です」という警告まで出される騒ぎになってしまいました。大変なことです。

 そんなトラブル続きの火鍋チャンネル、高須克弥先生をお呼びして昨年12月に撮影したコンテンツも一度お蔵入りになってしまうハプニングもあり(理由はお察しくだされand21年12月30日付の私の有料メルマガ『人間迷路』で記事にしています)、なんとも大変なことばかりでありまして、世の中ままならないものなのだ、と思うことしばしです。

 そんなわけで、火鍋チャンネル再始動するので是非観てね。

 で、この下は刺激が強いので、日常生活を平穏に過ごし、慎ましやかで平和で幸福な人生を送っている方は絶対に読まないでください。

 駄目だぞ。

 絶対だぞ。

 やめとけよ。引き返すならいまだぞ。

 一応忠告したからな。

ここから下は中年のおせっかいです(閲覧注意)

 でまあ、西原理恵子さんの炎上については、個人的に思うことが多くて、なんというか、大変にしんどい状況を必死で生きてきた人なんですよ。正直あまり普通の人生ではない。で、だからといって、子どもに辛く当たってはいけないとか、毒親なんじゃないかとか、今回の西原さんご息女のブログを見て、いろんな印象を持たれる人も少なくなかったようです。

 私もそこまで深く西原家(鴨志田家)について存じてるわけでもないですし、伝え聞く限りでも、西原さんの代表作『毎日かあさん』で描かれた世界とのギャップに驚く部分もあります。しかしながら、メンタルヘルスに課題を抱えているとみられるご息女の書かれている記事の内容には、私どもが承知している事実と大きく異なる点があるようである一方(ご息女もエピソードかなり盛ってるかなという意味で)、ご息女が刺激の多い界隈である種の心の闇を抱え、必死で生きる西原さんとの心情面でのすれ違いもまた多かったのではないか、と推します。

 私の知る限りでは、ご主人である故・鴨志田穣さんの、ある種破天荒で大変な生き様が投げかけたものもまた大きく、西原さんも高知の漁村からの成り上がりで懸命に働いてペン一本で成り上がった一代の女傑の面があり、そこで日々繰り広げられるやや暴力的な日常については鴨志田さんご自身が仕事仲間でも武勇伝のように語られていたことは半信半疑ながら「これは大変だ。なんとハードモードな人生なんだ」と思わざるを得ませんでした。

 そのころは、私も週刊誌の仕事はそこまでみっちりやっていたわけでもなかったんですが、こちらも亡くなられた故・勝谷誠彦さんやライターの故・Sさんまで、いろんな意味での薫陶はいただいておりました。ご息女が書かれていた介入するおじさんの件も、なるほどまだ社会経験のない女の子からするとそういう風に見えているんだな、と納得もしました。よく考えたら武蔵野市の教育委員会とあれほど揉めて、虐待相談までされている状況で第三者の介入を得て母親が娘に「言うことを聞きなさい」と諭すのはむべなるかな、と。

 また、私も例に漏れず酔っ払った鴨志田穣さんには酷い目に何度もあっているけど(物理的な意味も含めて)、でもそこにあったのは、まっとうでありたい、でも少し上手くいかないと我慢ができないという揺れる男の生き抜こうとする気持ちであり、器用に折り合って仕事をこなすことのできない抜き身の、剝き出しの魂でした。なんつーか、だらしないけどほっとけない、才能のある破天荒な男ってこういう感じなんですよね。

 ただ、それはあくまで仕事での後輩、あるいは飲み友達にすぎず、あと腐れ少なく付き合えているから何かあっても笑い話で済ませられるレベルのものであって、これが自宅に酔っ払った鴨志田さんがあの調子で帰ってくる西原さんやご子息・ご息女からすれば、たまったもんではないだろうとも思いました。毎日自宅にクレーンに吊るされた鉄球がブチ込まれるようなもんですからね。西原理恵子さんも懸命に生きていかなければならない、他方で子育てとどう両立するのかというのは、想像に絶するほどのものがあります。

 言い方は悪いですが、そういう環境でちゃんと子どもは素直に育つものなのだろうか、と漠然と考えたことは、過去何度もありました。大きなお世話ですね。でも、周囲はマジで心配していたんですよ。

 そのような大変な情勢であったのは伝え聞くだけでも百も承知もしているので、10年の時を経て、大学進学を機にご息女は、母娘間で折り合いが芳しくなかった西原理恵子さんと距離を置くような形で病院に通いながら一人暮らしをし、大学に行かれるという話も聞きました。どんなにつらかったろうと思います。母娘ともに。

 鴨志田さんであれ西原さんであれ、大変優秀だけど大変な人が、大変優秀だけど大変な人と結婚した結果、大変な家庭が出来上がってしまったという面はあるのあかなと感じるんですよ。ゲッツ板谷さんもコータリさんも勝谷誠彦さんもそうだけど、なんかもうみんな大変な人たちなので、そうそう無難に、まともにいくはずがないじゃないですか。そういうまともではない大変な人たちだからこそ、人とは違う着想を得て作家性を発揮し、多くの人に読まれ、愛される作品を作ることができる、ということに尽きます。

 ぶっちゃけ「アブナイお父さん」どころの騒ぎではなく、他方、一連の『毎日かあさん』で、作家本人の人生や、これから育ちどんどん多感になる息子や娘の赤裸々な日常を描くことのセンシティブさは今回とてもクローズアップされたなあと感じるところであります。もちろん、この『毎日かあさん』もすべてが実録ではなく、ある程度は作者である西原さん本人の母親目線で面白く、楽しくするための表現の工夫はかなりしたんじゃないかとも思うわけですよ。

 それが、ご子息ご息女が実は本人をモデルとされていると知ったときに、物心のついた後の気持ちの動揺のようなものがあったのだとするならば、本当は、うまい感じでもっと早く作品をフェードアウトさせるのが良かったのかもしれません。完全に、フィクションなのだと。でも、そこはそうはならなかった。

 なんか珍獣図鑑みたいな書き方になってしまいましたが(本意ではない)、この辺の機微は、普通にお勤めをされていたり、幸せなご家庭を築いておられる方々にはなかなか掴めないものかもしれません。そういう舞台裏が見えたときは、当然のように普通の人はびっくりするし、何だあれは毒親じゃないか、虐待だと炎上もするのでしょう。実際、そういう面もあるかもしれないし、鴨志田さんご存命のときは、まるで戦勝報告であるかのように事実婚として戻った西原家に児童相談所が来た、市役所が来た、警察が来たと誇らしげなお話をされていました。いやいや、それ大変なことだって。

 大変な人たちも、大変なりに一生懸命生きているんです。ただ、酒を飲んだら理由なく人を殴るとか、物事がうまくいかないと当たり散らして家族を罵るとか、みんなが「クズやんけ」と思うようなことは当然に起きながらも、それでもどうにか生きていくのが大変な人たちの歩む獣道なのだという話でございます。家族を含め周りの人は大変ですが、その周りの人も大抵が大変な人なので、大変な人が大変な人と大変なことをやっているのが日常であって、そこに宿った命がどういう魂を育むのかというのは命題として凄く深く重い部分じゃないのかなと。

 それでも、西原理恵子さんが母親だなあと思うのは、関係がどんなに悪くともご息女がやりたいというなら大学に行くお金の心配はさせたくないという一方、あんだけ喧嘩しとったはずの母娘なのに曲がりなりにも大学のカネを出したのは、いみじくも西原さん本人が経済的に苦しいはずの母親に「大学だけはちゃんと出て」と懇願され退学を思いとどまって卒業したという人生の振り返りがそこにはあるんじゃないかと感じます。

 若いころは、特に精神が乱れているとなかなか受け止められないことだけど、これは愛だと思うんですよ。ご息女が、おそらく自身で稼ぐようになり、結婚をし、子どもができて初めて、その愛に気づくのかもしれません。

 最後に、能力はあるけどクズの世界の話をします。能力と人間性は必ずしも両立しません。それどころか、先にも述べた通り、人間性が歪んでいるから豊かな着想や独自の視点を得られ、誰もがもやもやとして感じていることをズバッと言語化できたり漫画にすることができるからこそ、人々の共感を呼び、作品を愛され成功する人たちがいます。誰とは言いませんが。

 でも、生み出した作品が優れているからといって、器用に世の中を渡って行けるような人間性をも備えているとは限りません。否、誰からも愛されるような言動を心掛けられないからこそ、あるいは、薄々これやったら人間関係壊れてあとあと面倒くせえぞと思っていたとしても、ついやってしまうのが大変な人でありクズだということです。

 よく田代まさしが引き合いに出されるのですが、才能があり、愛嬌もあって、誰からもあれだけ愛されたので大成功をしたのに、クズだったのでやらかしてドボンして、周囲の人たちから支えられて復帰しようとしてまたやらかしてドボンして、いつしか支える人たちもいなくなってしまうってのは、人間の性だと思うんですよ。信頼してくれていた人をつい裏切ってしまう。これをやれば、またはやらなければうまくいくのは分かっているのに、ついやらかしてしまう。同じやらかしを、つい繰り返してしまう。

 反省してもしても、いや、反省はしてるんだけど、そのしんどい時期を過ぎて、少しホッとしたところで、またやらかす。禁煙もアルコールもDVも、だいたいがこういうことの繰り返しになるのです。

 私もいい感じにジジイになってきて、これが人生だと思うようになりました。自分も、周りも、心の内なるアカン部分と向き合い、抱きしめて生きていく、これが人生。やらかしたとき、いろいろ言われてダルいこともあるけど、非難されようが炎上しようが、まあだいたい昔似たようなこと聞かされて反省も後悔もしたなあ、っていう。才能に寄りかかってうまくいく、うまくいって調子に乗る、調子に乗ると人間性のアカン部分が湧いて出てきて、しっぺ返しを食らって燃え落ちて、振出しに戻る。

 人生、これの繰り返しなんですよ。

 で、もっと恐ろしいのは、世代を超えて繰り返すんです。私だって、爺さんと、親父と、同じ過ちをやらかしたのを自覚したとき、まあ呆然としますわね。一時期あれだけ折り合いの悪かった親父の、一番嫌いだった部分が自分の人格にガッチリと組み込まれているのを知ったとき、そうか世の中実際そんなもんか、と思うようになります。

 西原さんが半ば嬉しそうに、開放感という漢字三文字を顔に彫り込んで娘がようやく大学に行ってくれたと私に言ったとき、西原さんも母ちゃんに学費出してもらって大学卒業してましたよねって応じそうになりましたし。

 だから、ご息女もあの大変な母親の、その業績を否定するところからスタートして、立派に作家になっていくんじゃないかと勝手に期待をしています。だって、あの大変な鴨志田さんの娘さんでしょ。

 遠くから、観ていたいと思います。大変だろうけど。


神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント