コカドケンタロウがロケをしていた
コカドケンタロウがロケをしていた。
コカドケンタロウはお笑い芸人のロッチの眼鏡でないほうである。
こちらは老いた親父の車いすを押しながらの散歩で、毎度のように施設裏の公園にある池にいるコイを観たいというので、小一時間ほど暇であった。桜の散った花びらを踏んで、歩道を外れた池のほとりで車いすのストッパーを降ろした。振り向くと、コカドケンタロウの声がする。大きくて、張りのある声だ。
親父は、餌が貰えると勘違いして水面までバシャバシャとやってくるコイを静かに眺めている。退屈な時間になった私は、ハンディ片手に撮影しているカメラマンに一生懸命なにかを喋っているコカドケンタロウを少し離れたところからずっと見ていた。
相変わらずの大声で、コカドケンタロウは何か喋っている。
しかし、コカドケンタロウが何を言っているのかさっぱり分からない。
片手で何かフリップみたいなものをもって、頑張ってコカドケンタロウがカメラに向かって喋っている。しかし、何だか分からない。
恐るべきことに、本当に何を言っているのか分からないのだ。
さすがに人気芸人だけあって、自信に満ち溢れた態度、腹から出た太い声、培われるオーラ、凄いものがある。ビリビリと、鼓膜を叩くような強い音が響き渡っている。
だが、何を言っているのか分からないのだ。
この公園に名所でもあるのか、はたまた地域の名産か、その説明をしている風の雰囲気は漂わせているが、たかだか30mほどしか離れていない私ら父子のところには、ワーワーとしか聴こえない。
そればかりか、カメラを抱えて次はこれをと指示を出しているディレクター兼カメラマンさんの声は、キッチリ詳細まで聴こえるのである。その指示を聞いて、ようやくこの公園にきている人にコカドケンタロウが何かを質問して回ろうとしているのだ、ということを理解した。
であるならば、すべての問題の原因はコカドケンタロウにある。
確かに私はロッチが好きだ。少し前だが単独ライブにも行ったし、「ワタナベお笑いNo.1決定戦2017」では目の前でロッチが優勝していた。個人的には笑撃戦隊のほうが面白かった気もするが、それでも総合的に見てロッチの優勝は良かったと思う。しかしながら、そんなロッチ愛が吹き飛ぶぐらい現実の30m前にいるコカドケンタロウは何を言っているのか分からない。
野外では声が通らない特殊なコーティングでも声帯に持っているのだろうか。困惑するしかないのである。困ること以外、私にできることはその場では無かった。
そして、ロケは公園にやってきた人にコカドケンタロウが質問するというフェーズに進んだ。これなら少しは話がまともに聞けるんじゃないか。まともに語れるコカドケンタロウが見られるかもしれない。そういう私の淡い願望は打ち砕かれた。
公園にやってきたババアにコカドケンタロウが話しかけている。ババアも聞き取れなかったらしく、ハァ?と返答している。仕込みじゃなかったのか。駄目だ。そうじゃない、相手はババアなんだから、声の大きさよりも正確な発音を心がけるべきだ。
二度質問して、ようやく地元の名産である何とかの店の場所を指さして教えてもらう、という絵を撮るのに成功していた。コカドケンタロウが「ええーっ」というリアクションを取るところは別撮りしていた。それ、必要なくない? それにしても、ここまでに無駄に消費されたカロリーは計り知れない。
この公園でのシーンは撮り終えたのか、簡単な片づけをしている最中もコカドケンタロウは何かを喋っている。だが、私語ですら、コカドケンタロウが何を言っているのか分からなかった。ただただ、静かな、静かであるべき昼下がりの公園でひたすらに大きいコカドケンタロウの声だけが響いている。
私がコカドケンタロウをずっと見ているのに気づいて、親父が声をかけてきた。「知り合いかい?」 親父はコカドケンタロウのほうを見た。「あー、あれはロッチの」
「そうだねえ。頑張ってロケの仕事をしているみたいだよ」
「そうか…… 俺はナイツのほうが好きだな」
親父はポツンとそう言うと、池のコイたちにまた視線を向けた。コイたちは大きい口を水面に出して、親父に向かって必死にパクパクさせているものの、何を言っているのか分からなかった。
親父に限らず、コカドケンタロウの存在に、価値に気づかない人は、視線もくれずに公園を通り過ぎていく。正午を過ぎて、ゆっくりと日は翳っていく。
そして、コカドケンタロウとカメラマンさんは駅前の商店街のほうへと消えて行った。大丈夫なのか。心配しかない。でも仕事を頑張っているコカドケンタロウを見て、私も頑張ろうと思った。
神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント