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2年遅れでも『一閃』の話がしたい

 一昨年・昨年とこの時期に記事を上げようと思い、時期を逸して寝かすうちにもう2年経ってしまいましたが、今出さないと本当に二度と出せないと思いましたので、恥を忍んでお出ししておきます。

 本記事では、先日のLIVE FUN!!でも披露された『一閃は君が導く』(以下『一閃』)について、リード曲とカップリング曲両方の要素を備えた放クラの一つの到達点である、ということをお伝えできればと思っております。

 歌詞の一文単位での引用は避けましたので、別で見ながらご覧ください。また曲の性質上、野球の話が続きますが、後述するようにこれは本曲において用いられる比喩にすぎませんから、野球が嫌いな方はお好きなスポーツに適宜読み替えてください。
 なお、本記事の内容が「IMAS MUSIC ON RADIO」や『リスアニ音楽大全』と被っている、あるいは矛盾していたら、恥ずかしい奴だなと一笑に付して忘れていただければ幸いです。


熱い夏が始まる(?)

 さて、『一閃』は衣装から振り付けまで野球をモチーフとしていますが、その中でも特に全国高校野球選手権大会(通称夏の甲子園)を意識していることが明らかです。思い出演出やジャケットに描かれた球場は、広告の企業名までこだわって阪神甲子園球場と似せているだけでなく、曲名も大会歌である『栄冠は君に輝く』を連想させます。

 NHKが映るご家庭の方なら、一度は耳にし、目にしたことがあるでしょう。この時期がお盆休みに重なる方も少なくなく、野球の好き嫌いに拘わらず、夏の始まりを告げる一つのイベントとして捉えられるのではないでしょうか。そんな夏の甲子園は今年も8月7日に開幕し、初日から熱戦が繰り広げられています。

短い夏の終わり

 ただ、アツい夏は始まったばかり! のような言い方は全く的外れです。この夏、地方大会に出場したチームは3441あるのに対して、全国大会にやってきたのは49ですから、視聴者がビールを掲げて「甲子園開幕!」などと抜かすはるか前に、地方大会で敗退した3392チーム≒98.6%はもうとっくに夏を終えていることになります。しかもトーナメント方式を取っていますから、単純計算で半数のチームは初戦敗退=一回も勝てずに終わりです(参加数は2の冪でないので、現実には異なります)。
 勝ち進んだ強いチームばかりに目が行くので、1勝くらいして当たり前のように思ってしまいますが、(しつこいようですが)1勝したら上位50%です。強豪校が平気で通過していく1回戦で、3年間必死に練習してきた結果が初戦5回コールド負け、という残酷な事象は、毎年必ず起きています。

 むろん、野球をする目的は人やチームによってそれぞれであり、事情によっては出場できるだけで嬉しいということもあります。しかし、(勝ち上がるのは無理だと重々承知でも、)せめて一勝でもして一日でも長く同じメンバーと野球をしたいのが人の心でもあります。そんな多くの高校球児たちにとって、"たかが1勝"は極めて現実的で、かつ切実な目標です。それはまさしく"価値星"と呼ぶにふさわしいものあり、大げさに見えても集大成として打ち上がるものでしょう。
 そして、その1勝が大方の予想を裏切るものであれば番狂わせや波乱と呼ばれ、勢いのまま2つ以上続いて行くことがあれば、人はそれを旋風とか、嵐が巻き起こされたとか言うのです。とはいえ、3000以上のチームの中で最後に頂上に立てるのは1つしかないわけですから、それにも限界があって、ごく少数の例外を除けば、どこかで壁に阻まれて終わりを迎えます。

 これは、別に野球に限った話ではありません。サッカーでもラグビーでも卓球でも、トーナメント形式の大会なら必ずその場で半分は負けになります。さらに言えば、トーナメントにもスポーツにも限らず、勝ち負けは受験とか就活とか昇進とか、パイが限られた争いの中では必ず出てくるものであり、退職するぐらいまではずっとついて回ります。

我々の歌として

 そう考えると、『一閃』は放クラのリード曲の中でも現実的でスケールが小さい、ということができます。放クラはトップを目指すユニットであり、他のリード曲では、自分たちがNo.1であると叫んだり、銀河系を自由自在に飛び回ったり、この先3000年以上にわたって光を放つことを高らかに宣言したりしています。そういうときの放クラは我々を超越した上位の存在であり、我々と違う彼女たちの世界を生きています。彼女たちにとって、W.I.N.G.やG.R.A.D.での1勝など、一時間に5回も6回も行われる日常的な行為の一つに過ぎません。
 ところが『一閃』で目指す目標はまず1勝であり、次に波乱を起こすことであり、「皆優勝」という応援の掛声はあるものの、明確に優勝を目指しているわけでもなければ、その栄誉を浴びた描写もありません。

 『一閃』はもちろんリード曲であり、コール&レスポンスで盛り上がる要素はしっかり持っています。しかし、そんな盛り上がりと裏腹なスケールの小ささはむしろ、カップリング曲で描かれてきた「等身大の少女」としての放クラの姿に近いです。一試合でも長く戦うを望み、ただそれがに阻まれて叶わなかった(と思われる)姿は、『よりみちサンセット』や『学祭革命夜明け前』、『拝啓タイムカプセル』において、永遠を希求しながらそれが叶わないことを受け入れてきた(、そして別の形で永遠を獲得してきた)姿と重なります。そのとき放クラが生きているのは、彼女たちだけの異次元ではなく、我々と地続きの世界です。

 しかしそれらともまた違うのは、『一閃』が時間的に進んでいる点です。『よりみちサンセット』や『拝啓タイムカプセル』では、今が永遠ではないことを悟り、次へと踏み出そうとする刹那の光景と心情が描かれました。裏を返せばそれはまだ青春の中であり、実際に大きく進んではいません。
 一方で『一閃』では、あの日夢が上手く叶わなかった「痛んでる記憶」は「想い出す」もの、過去のものへと変貌を遂げています。すなわち、時間が経過し、新たな戦いに挑む場面です。ところが放クラは実際には歳をとっていません。そこにいる放クラは、ギャラクシーなアイドルでも、今を生きるうら若き少女たちでもないとすれば、何を示しているのでしょうか?

 そこにあるのは、時間的に先に進んでしまった我々を演じながら応援してくれる、共に戦ってくれる姿なのだと思います。常勝軍団の放クラではありえない低い目標も、まだ若いはずの5人が昔を懐かしんで新たな希望を見つける姿も、平々凡々な一般人の姿なのだと思えばよく当てはまります。
 すなわち5人のする野球は、我々がかつて立ち向かった・今も立ち向かっていく試練の比喩であり、そこでの成功は彼女たちのものであると同時に、我々のものでもあります。振り付けの冒頭で果穂ちゃんがホームランを打つ場面も、"彼女たちが応援する人たちの成功"を象徴しているのだと考えれば、キャッチャーの樹里ちゃんが喜ぶのは全然おかしなことではありませんね(こじつけ)。

 『一閃』が我々のための曲だとするならば、なぜ他のスポーツでなく野球なのか? という疑問にも理由が見えてくる気がします(妄想)。それは、団体戦であっても個人戦になる瞬間が必ず存在するからです。それはサッカーであればキーパーとの一対一だったり、バスケではディフェンスを抜く場面であったりします。
 その中で特にベースボール型の競技は、個人戦=打席が分かりやすく、かつ平等に回ってきてしまいます。そしてその結果は数値や指標として明確に示されます。生きている限り否が応でも何かしら戦わなければならず、その一つ一つに厳然と評価が下されるのは人生に似ています。
 同時に、それは実力のある人にとっても難しいところです。毎打席ホームランを打っても、ピッチャーがそれ以上に打たれれば勝てません。すなわち団体戦においては、並外れた才能の二刀流でもない限り、人は一勝も自力で掴むことができないのです。自分の役目を果たしたら、仲間も上手く続いてくれることを待つのみです。そこには誰と組んだかという運も介在します。「栄冠は君に輝く」という言葉は、突き詰めれば「君」=我々は客体であり、あとは主体たる栄冠が頭上に輝いてくれるのを待つほかないことを表しています。
 しかし、逆に個人戦の部分だけに限ってみればどうでしょうか。他人の打席結果は操作できなくても、自分の打席でヒットを打つことだけなら、実力と努力次第で如何ともできます。栄冠、あるいは一勝すら浮ついた目標であったとしても、一安打=「一閃」は実現可能な目標です。
 それはその時結果につながらなくても、自分の評価が上がることでより良い仲間と組めることもあります。あるいは、エラーした数だけかっ飛ばすことによって挽回できることもあり、出番が回ってくることは必ずしもネガティブではありません。いずれにしても、勝利や優勝という栄冠は自力では難しくても、一閃決めるくらいなら、「君が導く」ことのできる範疇に収まるのです。その意味で、「君」を主語とした曲名は、本家『栄冠は君に輝く』へのアンサーとなっているように思われます。

BABIP? 象鼻文? 難しいことは分からないです……

共闘者としての放クラ

 そんな我々の曲でもある『一閃』、私は放クラの一つの到達点(≠ピーク)であり、転換点であると考えています。
 放クラは常に元気に満ち溢れ、自分が元気でいるときにはそれを増幅させてくれます。一方で、心が疲れているときは、自分は蚊帳の外だな……と思うこともあります。「イルミネは寄り添う明るさ、放クラは盛り上げる明るさ」という評を昔どこかで目にしましたが、その通りだと思います(イルミネのそれもまた完全でないことは、イベコミュで示される通り)。
 そんな中で本曲は、日々負けを味わいながら生きる我々と同じ目線に立って応援してくれる寄り添いの要素を大きく盛り込みました。放クラは、悩んでいる人・傷ついている人にこれまでと違うスタイルで手を差し伸べることに成功したわけです。これまでその光を眺めていただけの放クラはここに至って同じ立場に立ち、共に走る姿勢を示してくれる仲間になりました。
 しかもそれを、放クラらしい溌剌とした盛り上げと同時に達成したという点で、傑作だと評価したいです。音楽性については詳しくありませんが、ブリッジ~落ちサビはラスサビへ向けて盛り上がる手前としても受け取れる一方で、そのまましんみりと聞き入ることもできるというのは、技術的にも凄いことなのではないでしょうか。元気なときは放クラを応援する立場に回ってパワーを倍にして返してもらい、疲れているときは自分を仮託して感傷に浸りつつ、次の戦いに挑む応援をもらうという風に、A面B面両方を自由に出入りできます
 無論、だからイルミネに肩を並べたなどと大それたことを申す気は決してありません。が、盛り上げと寄り添いを同時に図る態度は、『裸足じゃイラレナイ』にも明確に続きました。これからも放クラの新たな軸となっていくことでしょう。もちろん、放クラの世界観によって元気な人をさらに盛り上げるスタイルも全く損なわれることなく、『ハナサカサイサイ』や『放課後マギア』へと続いています。そういう意味で放クラはこの曲以降、「ファンもプロデューサーも世界も巻き込んでアイドル界のてっぺんを目指す!!」という境地に、一歩近づいたのではないか、と勝手に思うところです。

おわりに

 私は283という数字が好きですが、『一閃』を聴いてからは現実的な目標という意味を新たに持つようになりました。野球では3割打てれば一流と昔からよく言われており、平凡な人間であればもうちょっと低くても許されるでしょう。都合のいいことに、打率.283はそれにピッタリの数字です。(無論、9割成功させないといけない事柄、1割で十分な事柄もありますが……)
 『一閃』はコーレスもめちゃくちゃ盛り上がって楽しい曲なのですが、疲れたときにはそれを忘れてじっくり聴きながら、2割8分3厘くらい、できる人はもっと上の成果を目指して放クラと共に戦っていきませんか。

(了)



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