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1月はいく

新年が始まり、世界がゆるゆると動き出す頃、思い出す事がある。

まず、早い。
1月って早くない? 毎年毎年思っているけど、本当に早い。
1月って一瞬で終わるし、気付いたら年度末・・・ってのも毎年思っている。

そして小学5年生の冬休み明け、1月11日のこと。
提出した宿題の日記に、先生が赤いペンで書いてよこした
「1月は行く
 2月は逃げる
 3月は去る」
という言葉を、あの筆跡と共に思い出す。
クセの強い字。
「だから、もうすぐ先生とはお別れです。」

大好きだった先生が異動するという話は聞いていた。
産休に入った担任の代わりに臨時できていた先生だったから、そんなことは知っていた。もう5年生だからね。
それでもさみしくて、悲しくて、ずっと冬休みなんて来なきゃいいのに、お正月なんて、新学期なんてって思いながら過ごしていた。
きっと、クラスの誰もがそう思っていたと思う。
短い間のおつきあいだったのにも関わらず、そのくらいみんなに好かれている、優しいおばさん先生だった。
新年の清々しさよりも、どんよりと雪を降らす雲のような気持ちで始業式に向かった。

新学期初日に宿題の日記と漢字ドリルが回収され、その数日後に日記は返却された。
ぱらりと中を見ると、冬休みの一日一日に赤いペンでコメントが入れられ、「よくできました」のハンコも捺されていた。

その日の帰りの会で先生は言った。
「みんなの冬休み、ちゃんと読みました。
 楽しかった人、お年玉をいっぱいもらった人、なんだか元気のない人、みんないろいろあったね。
 先生はね、みんなの冬休みを忘れません。
 冬休みが来るたび、みんなの冬休みを思い出して想像します。
 しょうちゃんは石川の親戚の家に行ったんだな、とか、
 りゅうはこの寒いなか川でフナを釣ったんだな、とか、
 よしきはお年玉でずっと欲しかったゲームを買ったんだな、とか」
そしてにこっと笑った。
「先生は、そうやって君たちのことを覚えています」

帰り道、私はとても後悔していた。
なぜ先生に覚えていてもらいたいような、楽しくて元気な日々を記せなかったのか。
学校で見せている「いつものわたし」を残せなかったのか。
なぜあんなにそっけなく、なんでもない日記ばかり書いてしまったんだろう。

がっくりと家に帰り、おそるおそる返された日記を開いた。
先生の文字だけを拾うように読む。
弟とケンカした日には「大変だったね。でもかわいいね!」
埼玉のはとこに会いに行った日には「はとこと遊べるって素敵だね!」
クリスマスにはプレゼントにもらったぬいぐるみのことを、お正月には田舎の祖父母についてのことを書いてくれていた。

そして最後の日、つまり始業式の前日。
「3学期なんて、はじまらなければいい」とだけ書いた私の日記の後ろには、赤いペンでぎっしりと文字が書かれていた。

「1月は行く
 2月は逃げる
 3月は去る
 だから、もうすぐ先生とはお別れです。」
私ははっとした。
「君がさみしがってくれてうれしいけれど、先生もさみしくなっちゃうな。
 強い君。ひとりでも大丈夫な君。でもさみしがりなところがあるの、知っています。
 さみしいときはムリしない!
 友達にたよりなさい。さみしいって言いなさい。
 でもどうしてもさみしさを見せたくないのなら、クリスマスにもらったぬいぐるみに言いなさい。
 ずっとそばにいてくれる、君の友達になったんでしょ?」
私はもらったばかりのぬいぐるみを掴んだ。
「1月も2月も3月もすぐに来て、行ってしまいます。これは本当です。
 だから3学期は一日一日をいっしょに、大切にすごしましょう。
 君のことも、みんなのことも、先生は忘れません。大好きです」
私はぬいぐるみを抱えて泣いた。
母親や兄弟に気付かれないように、おしいれに入って、声を殺して。

その後そのまま寝てしまい、数時間後に発見され怒られた。
「押入れの中で寝るな!!」
ごもっとも。
あのときおしいれでびしょびしょになったぬいぐるみは、今も私の前にある。
もうだいぶ、ボロボロだけど。

1月の頭にはいつも思い出しちゃうんだよ。

いただいたサポートは、現在ですとシルバニアの赤ちゃんかマウントレーニアのクリーミーラテになり、私がそうとう幸せになります♥