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25歳、新しいLoopのはじまり。

誕生日には毎年写真を撮ることにしている。

25歳になった。いわゆる三十路に足を踏み入れてしまったわけだが、誕生日当日は特段なにか特別なことがあったわけでもなく、朝から小学校に行って授業やって、オフィスに戻ってから打ち合わせをいくつかこなし、夜にはライブ配信に登壇して…というごくありふれた1日だった。

子どもの頃から、25歳は被選挙権を貰える年齢だというイメージが強かった。法律上はたしかに選挙に出馬できる年齢だ。当分(というかほぼ)その予定はないけれど。


人生6年を1ターンと考えると、5期目が始まってしまった。半年前に書いたnoteでは、5期目についてこんなことを書いている。

社会的責任も自己の成長も放棄しない、むしろ積極的に引き受けていくことによって到達できる場所があると信じてひた走る。5期目が終わり30歳もになった時、そんな山の麓にでもたどり着けるように。そのためには基礎体力が重要だ。肉体的・精神的ともに足腰の強さがものをいう。

https://note.com/kiriem/n/n393d3ec3e151

なかなかにいいステートメントだ。25歳にもなると、社会的責任を果たさねばならない場面がたくさんある。そういったことにかまけて自己の成長を放棄するのはよくない。逆に、自己の成長に時間をかけすぎて、社会的責任を放棄することもよくない。

Noblesse Oblige という言葉がある。フランス語で、「身分に伴う責任」という意味だ。社会の中で色々とやらせてもらっているからこそ、そこには責任が生じる。それを肝に銘じながら、25歳も元気に楽しく仕事をしていきたい。


15歳の自分が見ていた景色と変わらない景色が広がっている

10年前、15歳の自分が見ていた景色と変わらない景色が目の前には広がっている。まさに、「拝啓、15の君へ」と語りかけたくなるようなノスタルジックさを感じつつ、この先に広がる未来に思いを馳せることもできる。自分の中でこの場所はとても大切であるということを自覚する。

緑豊かで美しい、という価値はキャンパスを選ぶ理由になりえる

博士後期課程に進学したのは同期の中で自分だけなので、正直4月はどうなることか少しだけ心配だった。でもそんなことに気持ちを持っていかれるほど暇じゃなかったし、なにより新しく入ってきたM1の皆さんの雰囲気の良さにだいぶ助けられている。学問に対して真摯に向き合おうとしている人たちだ。こういう雰囲気が好きで自分は大学院に残ったのだと思う。今の院生室にはアカデミックな雰囲気が充満している。とても心地よい。自分はその集団をリードするような人間になれているだろうか。

自分の中で自分が研究していることの良さや意義がようやく対象化されてきた気がする。自分の研究の価値は自分が一番よく知っている。無意識に楽しそうに喋っていたのなら、こんなにうれしいことはない。オタク特有の早口の可能性は否めないが、それでいいのだと思う。


25歳は1つ1つの仕事を形にしつつ、自分の研究も進めていく1年にしていきたい。マクロな視座で大胆に行動したと思ったら、ミクロな視点の微細なことまで見逃さない。そんなことができればと思う。この1年もがんばろう。

宮島衣瑛です!これからの活度のご支援をいただけると嬉しいです!