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僕らがよく言う「地域」と実際の「地域」にズレがあるなぁ、という話

こんにちは、宮島です。先日、地元の学校のコミュニティ・スクール導入に関する会議に出席してきました。
コミュニティ・スクールとはなにかについては文科省のホームページを参照するとよさそう。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/community/index.htm

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これと密接に関わってくるのが、次期学習指導要領にも入っている「社会に開かれた教育課程」の件。ざっくりといえば、学校だけで子どもたちの教育が完結する時代は終わって、これからは地域社会のリソースを活用していきましょうという宣言。学校運営協議会と社会に開かれた教育課程の実現はセットで語られるべき内容です。

さて、会議に話を戻しましょう。来年から始まるコミュニティスクールについて教育委員会の方からお話があり、ぜひそれに協力してほしいという趣旨の会議でした。出席していたのは、基本的に学校近辺の町内会の方々や既存の学校評議員の方々。PTAの会長や保護者の方々が少しという感じで、20代の参加者は僕一人(まあよくある光景ですね)。

詳細は省略しますが、僕が一番思ったのは仕組み上の「地域」と実際の「地域」には大きなズレがあるんじゃないかなぁということです。学校運営協議会の主な役割として「学校の運営方針について意見を述べる」ということがありますが、それをしたいのは実際に子どもを通わせている保護者の方だと思います。しかし実際には保護者世代は日中働いているので、運営協議会に出ている暇なんてありません。したがって、普段「地域」と呼ばれる場所にいる人たちの多くは定年退職以後の時間を過ごしているご年配の方々あるいは学生ということになります。

学校や教育がサービスとして捉えられるようになってしばらく経とうとしていますが、学校だけですべてが完結できる時代は終わりました。これはどうしようもないことです。教育は時代性に敏感であるべき領域ですから、目まぐるしく変化する現代にすべて対応しようとするとパンクしてしまうのは当然です。だからこそ、地域社会のリソースを活用して「共育」していきたいというのは良い理論だと思っています。が、地域社会の人々にはそれぞれのやっていることがあるわけで、いきなり学校が「これからはより一層地域の方々のお力をお借りしたいです」なんていっても困るのは当然です。しかも、そんな方々に責任を持ってコミットメントしろというのはかなり虫のいい話のように思えてしまいます。

少し前までの僕は、プログラミング教育のあるべき姿について次のような図を使って説明していました。

CoderDojoができること.001

学校はあくまでも入門の場で、もしそこで興味・関心が生まれたならば家庭で深めたり地域にあるプログラミングスクールやCoderDojoのような誰でも歓迎な場所で深めればOK。別になければなにもしなくたっていいかもしれない。とりあえず学校ではプログラミングと幸せな出会い方をしましょう、ということ。だから地域に CoderDojo のような場がたくさん増えればいいなぁと思ってこの数年間活動をしてきました。が、僕自身が「地域」という言葉の現実的な意味合いをあまりよくわかっていなかったことを痛感しました。

昔は子どもたちは地域全体で育てていたわけですが、核家族化の進行に伴う地域コミュニティの崩壊によってそうもいかなくなっています。公教育の将来を考える上で、地域との連携や社会に開かれた教育課程の実現は必要不可欠な要素だと思います。日本はますます少子高齢化が進んでいくわけで、ある種の多年代共生社会をしっかりとデザインしないとヤバそう。これからどうなっていくのか、僕も考え続けたい問題の1つです。

※どうも会議の中身を書かずに思ったことだけ書くのは伝わりてぃが低くなってしまう💦
リアルでお会いした方にはぜひいろいろとお話したいところです。

宮島衣瑛です!これからの活度のご支援をいただけると嬉しいです!