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キャンパス環境と身体、最近のこと。

9月が終わろうとしている。会社的には期末なのでそこそこ忙しくなりつつ、ゼミや授業など大学院でのタスクや次年度以降の取り組みに向けた種まきなど、日々タスクが積まれていく宮島です。相変わらずカレンダーはテトリス状態だし、自分のキャパシティーってなんだろうと考えなきゃなぁとは思いつつも、おもしろそうなことだったりやりたいことばかりなのでまあ楽しく生きていこうと思っている。

ようやく対面授業が一部再開された。僕も週2日はキャンパスに行くことになって、久々に電車に乗って柏と目白を往復する生活を取り戻した。中等科から数えると実に12年目になるわけだけど、去年と今年の前半はほぼほぼ行っていなかったわけだから、実質10.5年くらいか。1年半振りに対面授業を受けると、妙な緊張感があることに気づく。

オンライン授業で90分ずっと集中力をもたせるのは至難の業だ。至るところに誘惑(遊びだけでなく仕事を含む)が散りばめられている空間で耐え忍ぶのはもはや修行と変わらない。ましてやそれを子どもに求めるのは不可能だ。改めて身体が空間に位置づけられていることを自覚する。

久々のキャンパスは人も少なく、2020年以前の様子とはだいぶ異なっている。SUBWAYやレストランは休業中だし、至るところに消毒液と除菌シートがある。教室にはハイブリッド授業用の映像・音響機材が設置されている。これはアフターコロナでも残ってほしい気はするが、ハイブリッドほど面倒なことはないので、やるならどちらかにしたほうが教師も学生も満足度高まるような気はする。

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そんな中変わらないのが建物と自然たちだ。むしろ学生がいなくなった分生き生きとしているようにも見える。昔はこの広場で昼食を食べながらいろいろな話をしたことを思い出す。ノスタルジックに感じるが、たかだか3年前くらいのことなのだ。でもこの3年で世界は大きく変わってしまった。変わることをいとわない性分であると自分のことを規定しつつも、やはりどこか懐かしく羨ましく思ってしまう自分もいる。

年々時間間隔が早くなっているように感じる。毎朝起きてご飯を食べてシャワーを浴びてでかけて仕事して仕事して帰ってきて寝る。この繰り返しのなかで自分は何ができているのだろうか。日々できたこと、できなかったことを反省して生きているような人間ではないので、だいぶ無駄にしていることもあるんだろうなと思いつつ、その時々のスケジュールに身を任せることを心地よく感じている自分の存在も認識している。ただ、これはあまりよろしくないことだ。主体的であるように見えて主体的ではない。自由に見えて自由ではない。創造的に見えて創造的でない。自分を形作っているラベルとしてのキーワードが、本質的に正しいかどうかを吟味する機会を必要としている。意識的に自分で作らければ、この先何年も無駄にしてしまう可能性がある。気づいているのにできないのが人間みを感じなくもないが、それは今必要としていない。Loopではなくベクトルで捉えたい。

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個人的な次の課題は視座(Perspective)を確立することだと思っている。視座を更新し続けることはとても重要だ。いまの自分はどんなことを軸に世界を見ているのだろうか。ロゴスとパトスとエトスのバランスは適切だろうか。そんなことを考えながらnoteを書きなぐってみた。レポートや論文と違ってざっくばらんに言葉を紡ぐのは楽しい。

宮島衣瑛です!これからの活度のご支援をいただけると嬉しいです!