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「コンピュータを使って子どもが何を作って何を学び得たのか、その事実から自分自身が学び、探究する。」

この記事はFacebookに投稿した内容の転記です。

今年の7月後半から8月にかけて、僕が主担当でやるワークショップや講演・授業・研修・登壇などをあわせると、大学の授業26コマ分以上になりそうということがわかった。2013年に CoderDojo を始めてから今年で9年目になるが、今年はわりと多いほうだと思う。そりゃ9年間も子どもの前に立ち続けて毎回試行錯誤を繰り返しながら実践してたらスキルもついてくるよなと思っていた。

2017年3月にプログラミング教育の必修化が正式に決まり、いろいろな人たちが指導要領や議論の取りまとめの内容を咀嚼して現場におろしていく仕事をしていったのを真横で見ていた。自分自身もその1人として、たくさんの学校や教育委員会、研究会に呼んでいただきお話させてもらっていたわけだが、同じことをしていた人たちと圧倒的に違うと思ったのは、子どもにプログラミングを教えたことがあるかどうか、その経験の差が大きすぎるということだ。
自分は学習指導要領解説屋さんではなく、自分の経験から得たことを中心に話すことをとにかく心がけていた。教師経験もない大学生であった僕に求められていることは、指導要領の解説や教科の学びとの関連などではなく、子どもと一緒にプログラミングを学んでいる生の声なのだと思っていた。


月日が流れ学部を卒業し大学院に進学した当初。プログラミング教育は2018-19年と比べたら完全に下火になり、GIGAスクールの話で持ち切りな状態で、プログラミングの実践にこだわりつづけていた自分ができることはなんだろうと考えていた。正直自分の卒業論文でプログラミング教育にはケリをつけたいとも思っていた。プログラミングが持つ創造性や楽しさといったことには一切関心がなく、とりあえずA分類をやっておけばいいというような人が専門家の顔をして学校現場に入っていくのに辟易としていたし、教科教育に吸収されたプログラミング教育に対して興味もわかなかった。
だからはじめのうちはもう少し視座を広げて、コンピュータ教育全般を扱おうと思っていた。そうすればGIGAスクールの内容にも関われるだろうし、正直な話会社の利益にもつながる。
でも、結局そうはいかなかった。特定の教育ソフトウェアの使い方を工夫することによって今までやっていた授業の一部にコンピュータを導入することができる、といった内容に興味がわかなかった。僕の興味は、やはり子どもがコンピュータを使って作ったものやその過程、そこで学んだ内容そのものにあることがわかった。そして結局今は、GIGAで入ってきたコンピュータがどのように学びのツールとして位置づいていくのか、子どもはどんなものを作り学んだのかといったことを丁寧に観察しながら描いてく、そんな研究をやっている。結局、プログラミングに戻ってきてしまったのだ。

ここ2年くらいの、社会全体の空気感が好きではない。あまりにも専門家や現場の人々、先人たちへのリスペクトが欠けているし、それが正当化されてしまっている空気感が嫌いだ。二項対立の議論に終始し「時代性」と呼ばれるふわふわしたなにかにそぐわないものやことは徹底的に糾弾される
教育だっておなじことだ。教育は時代性にあった内容に変化する。それは当たり前のことであり、そうでなければならない。しかし、だからといって論証されていないふわふわとした言葉で語られていいものではない
なぜコンピュータを使うのか、コンピュータにしかできないこと/であればよりよいことは何か、コンピュータを使って子どもはなにを学ぶのか。この根本的問いに対して、時代性以外の言葉で答えられる人は少ないのではないか。
いまの様子を見ていると、「教育政策」として広くコンピュータ教育を捉える人と、超具体的な「教育実践」として狭く捉える人の2パターンしかいないように思う。これでは非常にもったいない。1980年代後半から90年代にかけて、教育にコンピュータが入ってきた時代とは、遥かに異なる状況がいま教室では起きている。1人1台コンピュータを持って学びの基礎的環境になったということの重大さをもっと認識しなければならない。今必要なのは、コンピュータ教育の「ビジョン」と基礎となる「哲学」だ。

「ビジョン」と「哲学」は全員同じである必要はまったくない。広い視野を持って自分の教育観を構築してそこにコンピュータをどう位置づけるのかということが重要なのであって、誰かから押し付けられて作られるものではない。もちろん僕自身も未だわかっていない部分もたくさんあるし、絶えず更新されていくものなのだろう。
では、ビジョンと哲学を自分の中に構築するためにできることはなんだろうか。今一度、自分の立ち位置を明確にしておく必要がある。
それは結局のところ「コンピュータを使って子どもが何を作って何を学び得たのか、その事実から自分自身が学び、探究する。」ということなのだと思う。そうだ、そういうことなのだ。そのために僕はこの夏200人を超える子どもたちと一緒に学ぶのだ。
これが今の僕のステートメントだ。

気づいたら2000字くらい一気に書いてしまった。ステートメントを決めることは、自分自身の行動指針となり、価値判断基準にもなる。そろそろフェーズとして次に進むためにも、今回の言語化はとても大切だったように思う。
年齢不相応ではあるが背負うものがそこそこ増えてきて身動きが取りづらくなってきている今だからこそ、立ち戻るべき行動指針を定義し、ひたすらに進んでいくしかないのだ。
疲労感と深夜テンションでかきあげた文章なので、明日にはひっそりと消えているかもしれないが、それもまた一興ということで。

宮島衣瑛です!これからの活度のご支援をいただけると嬉しいです!