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人生を6年1ターンとして考えてみる。4期目が終わろうとしている今、5期目に向けてやっておくべきことは何か。

僕は常々人生は6年を1周期として考えると色々なことがスッキリすると思っていた。生まれてから小学校に入学するまでの6年間、小学校の6年間、中学・高校の6年間、大学学部生+修士の6年間…僕の人生においては大体6年周期で社会的役割の変化が訪れる。冗談混じりに3回目の小学6年生だと言ったこともある。
世の中には同じようなことを考える人もいるらしく、今日このようなツイートを見つけた。

この4等分された人生において獲得したもの、喪失したものはなんだろう。そして、僕はこのまま順調に修論を書き上げることができたら無事に4期目が終わり、来年には5期目に突入する。

若い若いと思っていながら気づいたら20代も中盤になっている。4期目を無事に締めくくることはできるのか、そして5期目を迎えるまでに残された時間はわずかではあるものの、今やっておくべきことはなんだろう。今日はそんなことを考えてみたい。

弊チームでこの話をした時に送ったチャット。この4期の間で得たものはたくさんある。そして、それぞれの期ごとに(後から振り返れば)自然とテーマがあったことに気づく。
生まれてから6歳までの間にはみなぎる創造力を迷うことなく涵養できた気がする。そういった教育を受けさせてくれた親に感謝という話ではある。
7-12歳、小学校期では社会性というものを身につけた。社会で生きるための協調生や規範意識などを獲得できたような気がする。
13-18歳、中学・高校期では、「自由と責任」という概念を学んだ。自由には責任が伴う。その責任を果たすからこそ、自由にしてても何も言われないのだ。逆に言えば、責任を果たさないのに自由にはできない。責任を負って自由に生きるか、他者に責任を移管するが不自由の中で生きるか、そう言ったことの判別がついた6年間だったような気がする。そして何より今もなお続く熱中できる対象を見つけられたのが大きい。
19-24歳、大学学部生+修士2年間。僕は今この期の最後に差し掛かっている。第三期に見つけた熱中できる対象への探究心が芽生え、それを大きくすることに必死でいる。そして、責任をとって自由を得ることに決めたことにより引き受ける社会的責任の大きさに、個人の成長が見合っているのかどうかを日々悩みながら過ごしている。
とまあ、この4期は大体こんな感じだったような気がする。

自分のキャリアパスを考えると次の6年間は博士課程への進学+助教または研究員ポストについて研究者として一人前になるために費やされる。もちろん並大抵ことではないのはわかっているが、探究心に勝るものはないからやるしかない。と考えた時、自分は今何に集中して、何をすべきではないのだろう。

明確な答えは全くわからないが、なんとなく思っていることは、探究心の芽吹きを大切に育てていくことなのだと思う。自分の興味関心への視座を世界レベルにまで引き上げてみる。そこから見える(見えないものも含め。見えない、ということが見える。)ことをまた丁寧に考える。そう言ったことの繰り返しができる人生は幸せだと思う。

自分は他者の状況を適切に把握して客観的に問題解決の糸口を探すことが得意な方だと思う。しかし、残念ながらそれが自分に向かないのがなんとも言えない悲しさがある。自らの抱えている問題や課題をメタ的に把握し適切な解決策を考え、具体的に手を動かして解決へと導いていくことができたらどれだけ楽だろう。次の期ではもう少し自分にフォーカスしてもいいのかもしれないと思いつつ、まだ早い、そんなことをやっている暇があったら少しでも多くの現場に足を運び現実と向き合い目の前の課題を解決するための方法を考えて手を動かせと突き動かされるものもある。

社会的責任も自己の成長も放棄しない、むしろ積極的に引き受けていくことによって到達できる場所があると信じてひた走る。5期目が終わり30歳もになった時、そんな山の麓にでもたどり着けるように。そのためには基礎体力が重要だ。肉体的・精神的ともに足腰の強さがものをいう。トレーニングはいつから始めても問題ない。少なくとも今やるべきは、基礎体力をつけることなのだろう。4期目も残り少なくはあるが、最後まで体力作りをやっていきたい。

宮島衣瑛です!これからの活度のご支援をいただけると嬉しいです!