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号泣の翌日夜 小さなモーニングワークのお話

号泣しながら寝かしつけをした話と、その翌朝について書いた。今回はその続き。翌日の夜のこと。少し落ち着きを取り戻したかに見えた私は、やっぱり低調で、夜には些細な事がキッカケで気持ちを取り乱してしまう。夫を巻き込み、それなりに手を尽くした事で冷静さを取り戻した。私の不安定さに合わせて夫が一緒に動いてくれた事で、私はやっと夫と話をする姿勢が取れた。そんな話。

まず、二つ目の記事にも書いたけど、号泣明けの1日はさほど悪い始まりではなかった。なんとか気持ちは落ち着いていたのだ。なぜ落ち着いたのかは解らない。思い切り泣いたのが良かったのか、数時間でも眠れたのが良かったのか、自分の気持ち切り替え力が実は向上してるのか…?解らないけど、子どもの相手をしながら朝の準備をしている時は体は重いが気持ちはマシだった。

そして、美容院へいって日頃の不満をたんと聞いてもらったにも関わらず、

私は帰りたくなかった…!

足が家に向かない。お腹空いてるのに、色んなところをフラフラ…帰ればいいのに、またフラフラ。とにかく1人でいたかった。

帰宅途中で夫と子どもたちが外食してることがわかったので、私もタリーズでサンドイッチをモグモグ。1人で食べる昼食おいしい…!コーヒー最後までゆっくり飲める!!

でも、やっぱり帰りたくない。けど、さすがに帰らないわけにもいかないから帰った。と思ったら途中で夫と娘に遭遇。息子は鍵も持ってないのに先に帰ったと言う。娘を連れて慌てて帰る。

束の間の1人時間だった…_(┐「ε:)_

しかも、帰宅したらアパートの前で遊んでいる子たちがいたので、うちの子たちもとそのまま45分の外遊びにお付き合い。
帰宅後はぐったり。

でも、僅かに残った力を振り絞って片付け実行。我ながら偉いと思う。そんな私の横で3歳娘は枕を並べて「ママの家だよー」と可愛く言ってくる。で、そこで夫登場し、過去のトラウマを思い出させるプチ事件があったのだけど、ここでは割愛する。
しかし、このプチ事件のおかげて私のテンションはだだ下がり。娘に誘われて枕に横になると秒で眠りについてしまった。

どのくらい寝てたかは解らないけど、10分かそこらだと思う。なんとか時間をかけて起き上がる。起きなきゃ。今寝たらきっと夜は眠れない。無理やり立ち上がってリビングへいく。夫は先程の事件でヘソを曲げているかと思いきや努めて通常通りの対応を心掛けている。
ありがとう。
日頃文句は多いけど、良いところもたくさんあるの。ごめんね。ありがとう。

でも、私の気持ちはずっと最悪で、体も頭も重いしまたいつ眠るか解らない。ので、風呂に入る事にした。1人でぼんやり入浴した後は、子どもらを入浴させて、夕飯を食べて寝かしつける。

とは言え、私の動作は普段と比べると幾分緩慢で、ぼんやりとしていた。何をするでもなくただ、やるべき事をこなしているだけ。歯磨きして、子どもに呼ばれて、目についた廊下や床に転がっている物を片付けて、子どもに呼ばれて、食器を洗って、子どもに呼ばれて…あらゆる事に集中できない。私の生活は今全てがコマ切れ、中断ばかりだ。

その夜、なくしものをして泣きたい気持ちでそわそわモゾモゾと動き回る私。きっと娘が持っていったのだ。そうなるだろうから片付けないといけないと思ってた。思ってたのに、放置していたのだ。なくなったのは私のせいだ。
たまりかねた夫が一緒に探してくれた。でも見つからない。一通り見たところで2人はどうしようもなく座り込んだ。

「本当は解ってる。なくなったらまた買えばいい。もったいないけど、これでお終いじゃない。解ってるんだ。けど、こうなる事は解っていたのに、片付けなかった。その気力がなかった。子どもの事も全然見てあげられてない。それが悔しい。情けない。こんな事で泣きたくなってるなんてバカバカしい」

私はやっと自分の気持ちを話せる気がして口にした。夫はいつもほど話に割り込んだり、否定しりしなかった。黙ってきいていて、時折表情がまた歪んだ。けど、仕方ないだろう。夫は素人だしな。

なんとかやっていけるといいなと思っていた。年末年始の長めの休みを挟んだ後、もしかしてこのままじんわり低空飛行でやれば行けるんじゃないかって。でも、人生はそんなに簡単じゃないみたい。

この一年で私はいくつかの小さな喪の作業をした。それらは全部、「できると思っていた私のイメージとのさよなら」だった。

自分は事務仕事はなんとなく苦手そうだと思ってた。全集中すればできるけど、そうとうの注意を払わなければミスをしてしまった。そして、それでは事務仕事は務まらなかった。

自分は昔から絵を描くのが好きだったけど、デッサンが下手だった。空間認知が圧倒的にダメ。知ってた。けど、少し頑張ってちょっとだけ絵を描きたいなって思った。けど、全然描けなかった。イメージが結べない。解らない。見え方なんて一つも解らない。

子どもへの接し方、もう少しちゃんとしてあげたかった。でも私にはそのキャパがない。他人の子どもには寄り添えるのに我が子には無性に腹が立つ…。

そんな小さな事だ。前々からに苦手だなとは思ってたけど、「人間やってみないと解らないもんな」と思っていた。でも、やってみたら結果は残酷なまでに解りやすく出る。

本当にダメなんだ

ダメだとは思ってたけど、もしかしたらできるかもしれない

やってみたら本当にダメだった。これからはダメだって事を念頭に色々考えなきゃ

ってのは全然違う。自分のイメージとお別れしなきゃいけない。「もしかしたら」「やってみれば

たらればはない。あるのは今。
そして今から何をするか。

もしかしたら、今から仕事をサボってデッサンをしまくればできるようになるかもしれない。
「やりたい」を「できる」にする事はできるんだそうだ。ただし、それなりの努力や時間は必要だけれど。
そうだよね。その努力、どこに向けるかだな。

色々泣いて、自分にできない事もあって、手に入らないものもあって、悲しかった。あるのは今、だけど、これからどんな努力ができる、果たしてそもそも努力ができるのかも解らない。けれど、まずはこの小さなモーニングワークを一つずつ丁寧にやっていく。大切にさよなさする。
きっと大事なことだと思うから。

子ども服やポケモン・プリキュアの食玩を買います。あと、ねるねるねるね。