紫だちたる雲の細くたなびきたる

注意 これはただの惚気です。

眠れぬ日々が続いている。ずんと重いものがいつも腹の下の方に溜まって滞っているような気がする。けど、もうどうしようもない。
眠るのを諦めて筆をとった。
まぁ、実際はスマホをとったのだけど✒︎

もう1時間ほど、Coccoのガーネットをエンドレスリピートで聴いている。
久しぶりに聴く。大好きな曲なのに、聴かないと歌詞もメロディも思い出せないという体たらく。私の記憶力の問題か、何か相性が合わないのか。それでも、好きな歌だと思うので、こういう調子の悪い時には自然と流してしまう。そして一度聴くとエンドレスリピートしないわけにはいかなくなる、そんな曲だ。

私は発達特性なのか、聴き取りがとても苦手なので、歌を聴くときはたいてメロディしか解らない。歌詞はテキストで見ないとほとんど把握できない。なんだけど、Coccoの曲はわかる部分があるのでじっと耳を傾けて歌詞にも想いを馳せたりしてみる。

私はおそらくCoccoほどの辛い経験をしてるわけじゃないけど、なんとなく部分的にわかるようなところがある。20代の頃は特にCoccoの曲によく出てくる「愛しい、もう会えない人」について自分を重ねては考えたものだ。

私たち夫婦は20年以上前に出会っている。夫曰く最初から「気が合った」らしい。らしい、と言うのは、私にはそんな気はしなかったからだ。いつも私からの一方方向で、夫から何かが返ってくることはないと感じていた。夫を「好きだ」という人が当時、私の知っているだけで3人はいたのも大きいかもしれない。夫の事は好きだったけど、人間関係がややこしすぎて混乱していたのも事実だ。まぁ高校生なんてそんなもんかもしれないけど。

そんなわけで、ズルズルと友達付き合いを続け、ちょっと近づいてみたものの夫からの反応は薄かったので、なんか疲れちゃって私から離れて行ったのであった。自分から離れたくせに、「愛しい、もう会えないあの人」ポジに当てはめて感傷に浸っていたのだから、私はなんというか、

現実見ろよ!

って感じ笑

でも、そういう現実も見ずに自分自身も相手も見ずにどっぷり感傷にひたれるなんてなかなかないから。そんな経験もしててよかったのかもしれない、と今なら思える。今やっとな。ちょっと前まで黒歴史だと思ってたけどー

冬は我が家にとって鬼門。体調不良と仕事の年末進行から夫婦ともに情緒不安定になるからである。そして最近それが顕著。私はこの通り眠れていないし、夫はルーティンに全く手をつけられない。
そして私はガーネットを聴く。
Coccoの歌には夜と夜明けがよく出てくる。3回目くらいにふと思い出した。
夫と出会った年の夏、夫と二人でみた夜明けを。
高校生で2人で夜明け見てるとかケシカランよね。
周りに友達はたくさんいたけど、みんな寝てたのだ。確か新潟発の東北行き夜行列車の連結部だったと思う。青春18切符でみんなで旅行してた時。神経質で眠れなかった私(今と同じだ)と夫がたまたま居合わせたのだ。
膝を抱えてうつらうつらしていた私を夫が呼んだ。

「きりえ、見て」

指差した窓の先には薄紫に光る空があった。
ありきたりな言葉でしかないけど、
とてもきれいだった。
空は薄紫で、雲の間から光がさしてキラキラしていた。雲は横に細長かった。

「本当に夜明けは、紫だちたる雲の細くたなびきたるなんや」

もう夏やけど。春じゃないけど。夜明けの紫の雲はとてもとても綺麗だった。
初めて私が清少納言を尊敬した瞬間だ。

とても久しぶりに思い出した。
2人で夜明けを見てお互いに感動しあってたなんて…

なんてピュアなんだろう!

ビビるわ笑
でも、私も夫も当時はそんなことばかりしていた気もする。好きな言葉とか、瞬間とか、色使いとか、そんな事をただただ話していた。若いな。すごいな。やばい、もう今は見る影もないじゃないか。

お互い歳をとって、多分に擦れてしまったけれど、たまにはこんな事も思い出すのもいいなと思った眠れない夜だった。

子ども服やポケモン・プリキュアの食玩を買います。あと、ねるねるねるね。