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丹所千佳|すべては輝ける色の午后に ~菫色の小部屋の終幕に寄せて

 その美しい小部屋は、すみずみまであるじの美意識が行き届いていて、たいそう居心地のよい空間でした。置かれているものすべてに、やはり主の、あるいはその作品を手がけた人の、感性と情熱が宿っているように思えました。私がそこを実際におとなう機会は数えるほどでしたが、忘れがたく、うっとりした記憶として大切に残っています。

 菫色の小部屋と名づけられたその場所を思い出すとき、わたしの愛するさまざまな色もまた脳裏をよぎるのでした。たとえば菫色、魔法の宵の空の光、ガラスの島で作られる玻璃のきらめき、甘やかなジェラート。

ヴェネツィアの風景
Photo|丹所千佳(以下同)

 たとえばアブサン色、運河の水面、白い孔雀のいる庭園の木々、レモンが香る麦酒の瓶。あるいは緋色、藍色、煉瓦色、黄金こがね色。わたしがここ数年どっぷりはまっているイタリアの水の都ヴェネツィアは、あまたの色であふれています。

 美しいものを、わたしは色としてとらえているのかもしれない。そういえばかの町の絵画は、ルネサンスの興った町のそれが素描を重視するのに対し、色彩に重きを置くのでした。
 そんなヴェネツィアに、コロナ禍や円安に心を折られながらも足しげく旅をしているわけなのですが、好きになった場所へ行くエネルギーの一端は、まちがいなく菫色の小部屋からもらっています。

 終幕という言葉には、さみしさと同時に、どこか優雅さも感じられます。たゆたう襞、たっぷりとした布のゆらめき。
 幕といえば思い出すのは、『虚無への供物』。中井英夫によるこの記念碑的な小説もまた、登場人物たちの名前に色がつけられていたりと、色彩のイメージにあふれていますが、その冒頭はこんな一節で始まります。

黒天鵞絨のカーテンは、そのとき、わずかにそよいだ。小さな痙攣めいた動きがすばやく走り抜けると、やおら身を翻すようにゆるく波を打って、少しずつ左右へ開きはじめた。

中井英夫『虚無への供物』より

 文字通りの開幕、この書き出しだけでもうわたしなどはやられてしまうのですが。いつだったか、菫色の小部屋の主に「天鵞絨のカーテンの色は菫色で、アブサンファウンテンならぬシャルトリューズファウンテンを」と妄想を吐露したことがありました。シャルトリューズはフランスのリキュールで、物語の中で印象的に使われています。

 もしもいつか菫色の幕が再び上がる日が来たら、そのときはぜひ霧とリボンプレゼンツの『虚無への供物』トリビュート企画展を実現していただけませんか。と、最後のどさくさで再度リクエストを送らせてください。

 そして『カーテン』といえば、ベルギーの名探偵エルキュール・ポワロの最後の物語のタイトルでもあります。「ポワロとアール・デコ」というようなテーマでもぜひ、とノール様と盛り上がったこともなつかしく思い出されます。

 思い出は尽きません。あの美しい小部屋の、忘れがたい、うっとりした記憶。それはきっとこの先も変わらずに、あの場所からはなくなってしまっても――なくなってしまうからこそ――いつまでも、多くの人の心の中に在り続けるのでしょう。そうして、愛するものを愛でる心を、愛しつづける心を、そっと支えてくれるのだと信じています。

丹所千佳|編集者 →Instagram
1983年、京都生まれ。東京大学文学部卒業(美術史専攻)。出版社に勤務し、書籍や月刊誌の編集に携わる。単著に『京をあつめて』がある。2017年より突如ヴェネツィアにはまる。

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