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諏訪大社上社本宮参詣


浮草のように流れ、処々に留まって生きてきた私にとって、自分を守ってくれている神様がいるのだとしたら、この神様なのかなと最近思うようになったのが、諏訪大社上社のタケミナカタ(建御名方)だった。何のことはない、私が七歳の時、七五三のお参りに行ったのが上社本宮で、その時の写真が20年来実家に飾られていたから、そう思うようになったのだと思う。

タケミナカタ--wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/タケミナカタ

私は3歳から9歳まで長野県諏訪市に住んでいた。地元の保育園に三年通い、小学校に入って三年通った。保育園は茅野市から諏訪市を経て諏訪湖に流れ込む宮川の土手沿いにあり、小学校は諏訪大社の御山である守屋山の麓にある。

私の神様は何に象徴されるかと考えると、それは宮川なのかなと思う。辰年の私を守ってくれる神様は山ではなく川なのだと思う。普段寝ている川が雷を得て天に昇っていく、そういう中国の神話――龍の伝説が私の生き方を象徴しているように思う。私は昔から食うより寝る子だと言われている。諏訪湖にはたくさんの川が流れ込んでいる。諏訪のこの地にはたくさんの龍が棲んでいるのだと思う。


先週末は仕事があり十日町へは帰らず諏訪に居た。40年ぶりに諏訪に戻り、単身赴任して一年半が経つ。何度か本宮の前を通ったがお参りすることをせずに来たから、十数年前の御柱以来、お参りをした。

下社(諏訪大社下社春宮・秋宮)に比べると「普通の」神社に見える。オーソドックスであることは悪いことではない。本宮の祭壇の奥にある御鏡、その奥に守屋山があるのだと聞く。正面から写真を撮るのは何だか憚られて、社殿脇の柵の間からカメラを覗かせた。

本宮の横にはタケミナカタの父であるオオクニヌシ(大国主)も祀られていた(こちらは遠慮なく写真を撮った)。下社秋宮にはエビス様も祀られているという。私が住んでいた諏訪市田辺にもエビス社がある。エビス様は事代主(コトシロヌシ)でタケミナカタの兄であるらしい。偶然だが私の父方の実家、栃木県鹿沼市にある田中家の屋号はエビスヤだったりする(鹿沼市の商家だから諏訪神社とは関係はないと思う)。

下社秋宮のエビス社
http://www.tree-flower.jp/20/ebisusha_keyaki_2171/akimiya_ebisu_keyaki.html
事代主--wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/事代主
田辺のエビス社


私は大人になって以来、神社神道を嫌ってきた。第二次大戦で国家神道に併合され、戦争遂行に加担した神社が嫌いだった。正月に家族と初詣に行っても、私一人は手を合わせる気になれなかった。自分は「神様が違うから」お詣りしないのだと説明してきた。以来20数年が経った。

調べてみると国津神であるオオクニヌシ(とその一家)は天津神であるアマテラス(天照)に派遣されたタケミカヅチ(武御雷)によって「平定」される。いわゆる国譲りの神話だが、つまり地方豪族同士の争いで天皇家が各地の豪族と争って勝ち、支配下に置いていったことを表わす神話なのだろう。タケミナカタもタケミカヅチに敗れて諏訪に逃げ延び、この地に留まったとされる。

第二次大戦を遂行したのが日本軍で、その統帥権を昭和天皇が持っていた。アメリカ軍によってヒロシマとナガサキに原爆が落とされ、オキナワ戦で多くの住民が殺された。私は国家神道を認めて許すことができなかった。

でも天津神に敗れた国津神の一人であるタケミナカタなら信仰しても良いのではないかと思う。私が幼い頃に諏訪に住み、七五三で上社を詣でたのは父の仕事で諏訪に転勤してきたからであり偶然である訳だが、その偶然を私の運命と感じることができなくもない。信仰とはそういうことかとも思う。自分を守ってくれる神様がいるのだとしたら、私にはこの諏訪に眠る龍神なのではないかと思うのである。

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