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幸せの本質

「食にかける手間は1番のぜいたくで、
それを分かち合えることを幸せと呼ぶの」

最近聞くようになった曲の中にこんな歌詞がありました。


コロナウイルスの脅威によって
生活の制限が大きくかかっている中、
「コロナが落ち着いたら、、」
なんて嘆きがあちこちから聞こえてきますが、

一歩立ち止まって、

実際に過ごしている今は幸せではないのか。

コロナを理由にして、今を蔑ろにしてはいないか。

と、僕は常考えていました。

大袈裟に言えば、生きているだけで幸せなのですが、
さすがにそれでは極論なので、
もう少し具体性を持たせることができるなら、

それは冒頭の歌詞にあるような
人本来の、生きる過程ですべきことを
心が赴くままにできる環境に身をおける状態であることで、
それを周りの人たちと分け合うことであるのかな。と。


世の中には様々な娯楽があります。

僕の話ばかりで申し訳ないのですが、
僕はタバコもギャンブルも
女の人に高いお金を払ってしてもらうサービスも、
その類の趣味娯楽には全く興味がありません。

さすがにお酒は適度に楽しみますが。

しかしそれらはやらずしても分かります。
時間とお金の無駄だとね。

その類ができなくて幸せが感じられないのなら
それは貧しさなのかなと思います。

あくまで僕の考えなので
それを生きる糧としている人たちを否定しているわけではありませんが、

そんなものなくても十分幸せなのです。

時代が進歩していろんな楽しみ方がありますが、
僕はもうほんとにそれだけでいいと思います。

彼女や友達と過ごす時間。
自分の好きなことに没頭できる時間。
少しのお金。

があれば十分です。


このコロナウイルスによって
生きるテーマかのように考えていた
幸せの本質みたいなものをまたあたらしい体験をもって
確認できた日々に感謝したいです。


とはいえ、それまでの平穏な生活に戻って欲しいと思っています。

しかし共存していく自分のチャンネルも、
持ち合わせながら生活していく覚悟も持ちながら。


では。



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