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台湾で神様として祀られる日本人巡査を訪ねて

台湾中部の嘉義に富安宮というお寺を訪ねました。
ここに義愛公という神様が祀られていますが、この神様は森川清治郎という日本人巡査でした。

森川巡査は横浜生まれ。明治30年に台湾に渡り、富安宮のあるこの地に赴任しました。

当時この辺は土匪がいて治安が悪く、衛生環境も悪くマラリヤやペスト、コレラなどの伝染病が住民を苦しめていました。
教育も施されておらず、ほとんどの住民が文盲でした。

森川巡査は治安の改善に取り組むと共に、寺子屋を作って教師を雇い、自費で日本から教材を取り寄せ村人たちに読み書きを教えました。
衛生環境の改善のため地道な指導を行い、排水溝を掘らせたり、食べ物の扱い方を教えました。農業技術の指導も行なっています。
少ない俸給の中から、貧しいものには物品を施し、病人が出た場合は医者や薬を手配するなど、献身的に村人のために取り組みました。

そんな中、総督府によって漁業税が課されることになります。村人たちは森川巡査に税の軽減を嘆願し、彼らの苦しい状況を知る森川巡査は役所に上申します。しかし聞き入れられることはなく、森川巡査は住民を扇動したと疑われ戒告処分を受けてしまいます。

彼は村人の願いに応えることができなかったこと、疑われてしまったことに責任を感じ、拳銃で自決してしまいました。

総統府はこのことを知ると、訓告処分を取り消し、森川巡査を警察官の鑑として表彰します。税は査定に誤りありという名目で元どおりになったそうです。巡査の死によってやっと村人の要望に応えることができたわけです。

それから20年後。

隣の村で伝染病が大流行した際、制服姿の警察官が村人の夢枕に立って、生水や生ものに気をつけるように告げます。
それに従った村は被害がありませんでした。

村人たちは今でも森川巡査が自分たちを守ってくれているとして、富安宮に義愛公として祀るようになったのです。
今でも富安宮には多くの台湾の人々が訪れています。

台湾では、森川巡査に代表されるように死後神様として祀られる日本人が多いと聞きます。
それは心から台湾の人々に慕われ、愛され、感謝されていた証です。

台湾が有数の親日国である背景には、こうした日本人の存在があります。

日本の植民地統治を知る一つの例としてご紹介しました。

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