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3月17日は、漫画週刊誌の日&湯島聖堂が完成&日本最初の旅客飛行が成功&アジア太平洋博覧会が開催

【漫画週刊誌の日】

日本初となる少年向け週刊誌「少年マガジン」出版:講談社、「少年サンデー」出版:小学館が、1959(昭和34)年3月17日に、それぞれ発刊されたことにちなんで記念日が設けられています。

創刊当初、「少年マガジン」40円:20.5万部、「少年サンデー」30円:30万部だったことから、少年マガジンも30円に引き下げられています。

30〜40円:現代換算180〜250円弱。

創刊当初は、どちらも連続小説が大半で、漫画の連載はほんの少しでした。

徐々に漫画の連載が増える中で(以下、敬称略・順不同)
少年マガジン
ハリスの旋風:著:ちばてつや
あしたのジョー:著:ちばてつや
巨人の星:著:川崎のぼる
ゲゲゲの鬼太郎:著:水木しげる
天才バカボン:著:赤塚不二夫

少年サンデー
伊賀の影丸:著:横山光輝
おそ松くん:著:赤塚不二夫
オバケのQ太郎:著:藤子不二雄
パーマン:著:藤子・F・不二雄
ジャイアントロボ:著:横山光輝
どろろ:著:手塚治虫
もーれつア太郎:著:赤塚不二夫

などなどの人気作品が登場し、今日でも数多くの作品がリバイバルされています。


【湯島聖堂が完成】

1690年3月17日、東京都文京区に「湯島聖堂」が完成しました。

旧暦:延宝9年2月7日。

元々は、東京・上野忍岡にあった儒学者・林羅山(らざん)の屋敷地の一画を、儒学を学ぶための私塾として、孔子廟(こうしびょう)を設けていたのが始まりで、その後、熱心な儒学者だった江戸幕府・第5代将軍徳川綱吉が、神田湯島に移築しています。

孔子廟:中国・春秋時代の思想家であり、儒教の創始者でもある孔子を祀っている霊廟のこと。

湯島に移築された孔子廟は、その後、幕府直轄の昌平坂学問所と名を変え、徳川綱吉自ら「大成殿」と命名し、額字も執筆したと伝えられています。

《余談》
廟に付随して建てられた周りの建築物などを含めた総称として、聖堂と呼ぶのが一般的とされていて、明治期頃からは、昌平坂聖堂、湯島聖堂などの呼称で、学問の場としてだけでなく、博覧会も開催されるようになるなど、多目的に使用されていました。

1923(大正12)、発生した関東大震災の影響で、聖堂の大部分は焼失してしまいますが、その後再建され、現在は国の史跡に指定されていて、無料で拝観することが出来ます。


【日本最初の旅客飛行が成功】

1922(大正11)年3月17日、飛行士だった後藤勇吉氏の操縦で、日本初の旅客飛行が行われました。

「旅客飛行」の言葉の解釈の違いから、日本初かどうかに関しては諸説あります。

後藤氏の操縦にて行われた旅客飛行は、岐阜・各務原(かかみがはら)~東京・代々木間の航行で、乗客は2名の新聞記者でした。

《余談》
各務原市には、大規模な航空機工場が現存していて、今日でも飛行機の町として、「かかみがはら航空宇宙科学博物館」などの飛行機に関する記念館や、建物が点在しています。


【アジア太平洋博覧会が開催】

1989(平成元)年3月17日、福岡県福岡市早良区百道浜(ももちはま)〜中央区地行浜(じぎょうはま)一帯の臨海埋め立て地を利用した「アジア太平洋博覧会」が開催されました。

通称=よかトピアとして、同年9月3日までの約半年間開催され、国内企業や団体1,056社、国外企業や団体、37か国の国や地域、国際機関2ヶ国が参加し、全体で43館、国内館:33館 、外国館:10館ものパビリオンや建築物が設置されるなど、大盛況でした。

また、よかトピアのマスコットキャラクター・太平君と洋子ちゃんをデザインしたのが、漫画家の手塚治虫氏だったことも話題を集めました。

よかトピアに合わせて建設された、福岡タワー、福岡市博物館、西部ガスミュージアムは、博覧会終了後も営業されていて、博覧会会場までの主要アクセスとなった道は、よかトピア通りと名付けられている他、駐車場だった跡地には、福岡PayPayドームが建設されるなど、今日でも、その多くが福岡の観光地として人気のスポットです。

(以上、ネット検索より)

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