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1月27日は、鳥羽・伏見の戦いが開戦&新聞求婚広告が始まる&ハワイ移民出発の日&ホロコースト犠牲者を想起する国際デー

【鳥羽・伏見の戦いが開戦】

1868年1月27日、現:京都府の、南区:上鳥羽、伏見区:下鳥羽・伏見、八幡市:橋本、その辺りの一帯を中心に、新政府軍vs.奥羽列藩同盟軍が激突した、鳥羽・伏見の戦いが開戦しました。

旧暦:慶応4年1月3日。

江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が行った大政奉還によって、空席となった覇権を巡る思惑は、それぞれの立場で異なり、以後の日本を展望すべく2分された、新政府軍:薩摩藩・長州藩など、奥羽列藩同盟軍:旧幕府勢力の戦いは、その後、京都以北の各地で展開されていきました。

日本の覇権を巡る内戦の数々は、その後に総称として「戊辰戦争」と呼ばれていることから、鳥羽・伏見の戦いは、戊辰戦争の初戦となった戦いと目されています。


【新聞求婚広告が始まる】

1883(明治16)年1月27日、新聞に求婚広告が初めて掲載されました。

三重県で刊行されていた、伊勢新聞、三重日報の両紙面に、中尾勝三郎氏(※)が、
縁談広告「拙者義某妻離別し虎独身者にて家事不行届甚だ困却致し間今般更妻娶り度有志の諸君い貧富を不論 照会ありたり 但し年齢十七年以上廿五年以下の者に限る」という内容を掲載。

《意訳》
離婚してから後、家事や身の回りのことに何かと困ってるから、縁談で妻になってくれる方を募集します。
貧乏でもお金持ちでも構いません。
気になったら連絡ください。
ただ、年齢は17歳~25歳くらいまででお願いします。

中尾氏当人の年齢や詳細などは掲載が不明ながら、広告を見た近くに住む19歳の女性が応募し、後日結婚したそうです。

当時は、まだ新聞自体が刊行され始めた頃でもあり、求婚広告、人探し広告、物々交換など、割りとユニークな広告が多数掲載されていて、個人情報的概念もなく、それが許される時代だった とされています。

そして、この日は、求婚の日として、記念日のひとつに制定されています。

(※)伊勢新聞では「中尾藤三郎」と表記。


【ハワイ移民出発の日】

1885(明治18)年1月27日、「日布移民条約」により、ハワイへの移民第一号の船が横浜港を出航したことにちなんで、記念日が制定されています。

急増するサトウキビ畑や製糖工場で働く労働者を確保するため、1830年頃より世界各国からハワイへの移民が勧められていました。

が、地理的に近く、コストも安く抑えられるアジアからの移民が好まれ、特に 日本、中国、フィリピンから、多くの人がハワイへ移り住んでいきました。

政府間条約によって、ハワイへ移民した日本人は官約移民とも称され、600人の公募に対し、28,000人以上の応募が殺到する人気ぶりでした。

しかし、ハワイ現地での実際の労働状況は、労働:1日10時間、休日:週一回、給与:月10ドル(現代換算:約3万円弱)など、過酷極まりないものでした。

《余談》
ハワイは漢字で「布哇」と表記されています。


【ホロコースト犠牲者を想起する国際デー】

2005(平成17)年に開かれた第60回国連総会本会議にて、国際デーの一つとして記念日が制定されています。

国際表記 :International Holocaust Remembrance Day

日付は、1945(昭和20)年1月27日に、当時のソ連軍によってアウシュビッツ強制収容所が解放されたことから設けられています。

第二次世界大戦中のアウシュビッツ強制収容所で起きた悲劇を忘れず、繰り返さないと共に、特定の民族や宗教への差別・攻撃を止めさせることが目的とされています。


(以上、ネット検索より)

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