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4月13日は、決闘の日&新型インフルエンザ対策の日&都を平城京に遷都&喫茶店の日

【決闘の日】

慶長17年4月13日(新暦1612年5月13日)、宮本武蔵vs.佐々木小次郎の決闘が、豊前小倉沖の無人島・巌流島で行われた(とされている)ことにちなんで、記念日が設けられています。

現:山口県下関市の関門海峡に浮かぶ無人島で、一般的には舟島(船島)と呼ばれています。

両者の決闘に関しては、宮本武蔵は潮の満ち引きを考えて、あえて島入りを遅らせた、宮本武蔵はオールを削って木剣にした、実は宮本武蔵の弟子たちが闘った、佐々木小次郎は弟子を大勢引き連れていたなどなど、いろいろな逸話があり、中でも、佐々木小次郎が刀を抜き鞘を捨てたのを見た宮本武蔵が「小次郎破れたり」と言った、との話が残るものの、いづれも確証はなく、決闘自体が行われたのかも、実は不詳とされています。

加えて、近年の研究から、日付に関しても後世の創作では?との見方が有力となっています。


【新型インフルエンザ対策の日】

2009(平成21)年4月13日、メキシコで初めて新型インフルエンザの患者が確認され、その後に亡くなってしまう症例が発生。

元来、豚の間で流行していたウイルスが、農場などで豚から人に直接感染してしまい、それから一気に人の間でも広まったとされる新型インフルエンザは、メキシコ国内だけでなく、世界的に流行してしまい、世界保健機関(WHO)は、パンデミック(世界的大流行)であることを宣言。

この宣言に伴い、警戒水準を最上のフェーズ6に引き上げる事態にまで発展したことを受けて、東京都練馬区で練馬桜台クリニックを営んでいる永野正史理事長が、多くの感染者や患者を発生させるパンデミックへの備えを怠らないことへの警鐘を兼ねて、記念日を制定しています。

この時発見された新型インフルエンザは、豚経由が有力視されたことから、豚インフルエンザと呼ばれていて、豚インフルエンザで亡くなった方は、全世界で約14,000人以上と目されています。

日本国内でも 感染患者数:約500万人以上、死亡者:約200名以上もの猛威を奮いました。

厚生労働省では、インフルエンザ対策として、予防接種が大切と提唱しています。

加えて、インフルエンザは感染力が強いことから、マスクの使用、石鹸を使用した手洗いの徹底、外から室内に入ったら、こまめにうがいをする など、日常のケアが何より大事だと、各専門家からも呼びかけが行われています。


【都を平城京に遷都】

710年4月13日(旧暦:和銅3年3月10日)、第43代元明(げんめい)天皇によって、それまでの藤原京から平城京に遷都がなされました。

平城京は、現:奈良県奈良市及び大和郡山市近辺に位置していて、当時の最先端をいっていた唐の長安をモデルにした都づくりが進められていきました。

大安寺

奈良時代の首都として、大安寺、薬師寺、興福寺、元興寺を含む寺社の建立が盛んになり、大区画整理が行われました。

が、短期間で複数回の遷都が行われていたこともあり、都市計画としては、未完成のまま平安京に遷都されているとの見方が有力です。

複数回の遷都=平城京→恭仁京→難波京→平城京

薬師寺

《年代語呂合わせ》
平城京に遷都された年の覚え方として、
奈(7)良で唐(10)にならって平城京
奈良の納豆(710)平城京
な(7)んと(10)!なんとの平城京
など、いくつかあります。


【喫茶店の日】

1888(明治21)年4月13日、東京・上野に日本初の本格的な喫茶店「可否茶館(かひいさかん)」がオープンしたことにちなんで記念日が設けられています。

オープン日に関しては諸説あり、当時、珈琲はハイカラな飲み物として特権階級の人々の間で人気で、また、可否茶館の造りが、1階:ビリヤード場、2階:喫茶室の洋館だったこともあり、遊べる大人の娯楽場として話題を呼びました。

が、牛乳:2銭、もりそば1杯:8厘、ビール1本:18銭の時代に、コーヒー1杯:1銭5厘、席料:1銭5厘と、珈琲を飲むだけに合計3銭はちょっと高いとのことから、店への行き足は伸びず、珈琲自体も、当時はあまり受け入れられなかったとの記録が残っています。


(以上、ネット検索より)

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