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母の日に思う【きらり独りよがり/その50】

母の日に 生さぬ仲では あるものの 子、孫、ひ孫の 笑顔が届き

以前のnoteでも触れましたが、わたしはママ母です。上は2つ年上の長男から、下は16才の息子まで。孫が10人ひ孫が1人のひいばあちゃんでもあります。

わたしの父はあまり勤めの続かない人でした。一匹狼の営業マンとしては優秀だったようですが、誰かに使われる、人の下で働くということが苦手だったようです。

父がそんな調子だったので、母はわたしの妊娠中もギリギリまで働き続けたそうです。

3つ違いの妹が生まれることを機にわたしたち一家は両親の田舎にUターンしました。妹は母方の祖母に預けられ、わたしは幼稚園から母の実家に帰り母の迎えを待つようになりました。

小学校からは鍵っ子です。なぜだか、幼稚園が休みだった妹を連れて登校した思い出もあります。とにかく、母はよく働いていました。

母がいつも仕事で留守だったので、子供の頃のわたしの将来の夢は「専業お母さん」でした。自分が鍵っ子だったので、自分の子供は鍵っ子にしたくないと思っていたのです。

カナダに来て天職と思えるツアーガイドの仕事に就き、縁あって夫と一緒に暮らすようになりました。当時夫が抱えていた娘たちは9才と6才。夫がもう子供を望んでいなかったことと、わたしは子供のために仕事を辞める気持ちになれなかったことで、わたしは自分の子供は持たない決心をしました。

それが良かったのかどうか、今もわからないままです。特に一番下の息子ができた時は「わたしも産んでおくべきだったかもしれない」と、本気で後悔したこともあります。

もし自分の血を分けた子供がいたら、老後は日本に帰ろうと思うようにならなかったかもしれなません。

それでも母の日に、義理の孫たちの笑顔を見ると幸せな気持ちになります。これからも生さぬ仲の家族とは、程よい距離感を保ちながらママ母道を極めたい、母の日にそんなことを思ったのでした。

冒頭の写真は、自分の成人式には着ることがなかった振袖です

先日、成人式を迎える従姉妹の娘にわたしの振袖をプレゼントしました。初孫だったわたしのために、祖母が仕立ててくれた振袖です。わたしにも妹にも子供がいないので、祖母からの贈り物は従姉妹に引き継いでもらうことにしました。


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