嫌われる勇気 メモ

嫌われる勇気メモ
※恣意的な意見も含まれています。「*」の行は全て私個人の意見です。

・フロイト、ユングと並ぶ「心理学の三代巨頭」アルフレッド・アドラー

・「世界はシンプルである」
→「あなた」が世界を複雑にしている。人は誰しも主観的な意味づけの世界に住んでいる。
つまり、問題は世界がどうあるかではなく、あなた自身がどうあるか。

・「ギリシア哲学ともう1つの哲学」
→ソクラテス、プラトン、アリストテレス…そしてアドラー心理学。
→元々フロイト主宰のメンバーの一員だったが、学説上の対立があり、独自の理論「個人心理学」を提唱

・「過去の"原因"ではなく、いまの"目的"を考える」
→変わりたい!と人は言うが、変わりたくないから手段として、変えられない理由をつくり出している。また、常に"変わらない決心"をしている。
「経験によって決定するのではなく、経験に与える意味によって自らを決定する」
アドラー心理学ではこれを「目的論」という。
→全ての行動、トラウマには原因があるとするフロイトの「原因論」とは対立する。
アドラーはトラウマの存在を否定している。
*確かに、フロイトのカウンセリングを経て記憶が改竄され、歪曲した事実を事実と思い込んでしまった事例もあるので、納得はできる。

・「怒りは捏造」
→何らかの目的の手段として人は怒りという感情を"捏造している。"

・「過去に原因を求めることはニヒリズムの入り口」
→全てが過去の出来事によって決まる「決定論」では、"今"が全て過去によるものになってしまい、有効な手立てが打てなくなる。
そうすると自ずとニヒリズムに落ちる。
*もし目的論に立つならば、常に向上心を持って高い目標や夢を持つべきなのかな?
そうすれば、過去は未来の"目的"の過程だと捉えられる。

・「大切なのは何が与えられているのかではなく、与えられたものをどう使うか」
→必要なのは交換ではなく、更新
*ニーチェの自己超克と同様?

・「不幸であることを選択した」
→ソクラテスのパラドクス
「誰1人として悪を欲する者はいない」
→純粋な意味で自分の為にならないことをする人は居ない。どんな悪人でも何らかの目的や理由に沿って行動を起こしている。
つまり、"不幸であること"が自分にとっての"善"だと判断した。

・アドラー心理学における「ライフスタイル」
→性格や気質、思考や行動の傾向、人生観や世界観
→"ライフスタイル"は自ら選んでいる。そしてそれは選び直すことが可能。
→しかし、人はライフスタイルを変えることを中々しない。それは「このままの私」のが楽であり安心だから。
*所謂メンタルブロックってやつ?
→何々だったら〜という可能性に生きていると変われない

・「これまでの人生に何があったとしても、今後の人生には何の影響もない」

・「自分を好きになれないのは、自分のことを好きにならない決心をしているから」
→自分を卑下するのは、他者から嫌われ、対人関係で傷つくのが怖いから

・「孤独を感じるのにも、他者が必要」

・「劣等感」=「価値判断」
→自分がどのように意味づけし、価値を与えるかによって劣等性が劣等性ではなくなる。
劣等性は客観によるものではなく、他社と比較した時の主観によるもの。
→客観的な事実は変えられないが、主観的な解釈は変えられる

・人は生まれながらに、無力な状態を脱したいという普遍的な欲求がある
→「優越性の追求」
それに対比して、劣等感がある。
劣等感は個人の努力や成長を促す促進剤となる。

・「劣等感」!=「劣等コンプレックス」
コンプレックス=心理的な倒錯
・劣等コンプレックスとは?
→劣等感を言い訳に使い始めた状態
「Aだから、Bできない」
というのは劣等感ではなく、劣等コンプレックスである

・「優越コンプレックス」
→劣等感を乗り越える勇気もなく、劣等コンプレックスにも耐えられない人は、自分が優れているように振る舞い、偽りの優越感に浸る。
権威を用いて優越を得る人は、他社の価値観から脱することができない。
*他者モードですね。インスタやTwitterで憧れや妬み嫉みを持つ人は、自分の価値観を持てない人。

→「自慢は劣等感の表れ」
逆に不幸自慢する人は、不幸であるわたしという立場で特別であろうとする。
さらに他者の慰めやアドバイスを払いのける。
*愚痴は別に良いと思うし、課題解決の為に他者のアドバイスを引き出すのは良いと思うけどなぁ。参考にもなるし。
→「自らの不幸を武器にする人たち」
*いるねー。フェ○ニストとか!
不幸を武器にする限り、一生幸福にはなれないジレンマをどう考えてるのか。
それとも支配したら突然態度変えるのかな?
そしたら無限ループになるけど。

・「優越性の追求」
→あくまで、理想の自分との競争。

・「競争は他者を、ひいては世界を敵だと見なすようになる」
→お前の顔を気にしてるのはお前だけ
*これは半分同意で半分不同意かな。
競争は劣等感を生むけど、劣等感がないと努力も成長もない。容姿を気にしなければ、容姿が洗練されることもない。きっかけは何でも良いと思うけど、自己成長を促す為には自己と他者を認識する配分が大事だと思う。
完全に切り分けるのは良くないと思う。0か100じゃないからねこの世界は。

・「競争から抜け出せば、他者を仲間と見なし、純粋に祝福できる」
*全くわからん笑
競争がない世界において、幸福や祝福の概念があるとは思えない。
てかそもそも、競争の極致のようなスポーツの世界の方が、相手を讃える文化があると思うけど。
それは自分の努力と相手の努力を相対した時に相手の努力に敬意を評するからであって、単純に何の文脈もない他者に対して祝福するなんてことはありえない。動機がないでしょ。

・「私憤と公憤」
→個人的な怒り(私憤)と社会的な問題に対する怒り(公憤)は異なる。
公憤は自身の利害を超えているため。

*アドラーは好奇心を蔑ろにし過ぎてる気がするなぁ。
問題行動もリストカットも好奇心によって起こることもあると思うけど。
まぁ対人関係の悩みが全てと言い切ってるから、これは愚問なのかもしれないが。

・「怒りという道具に頼らない」
*怒るという行為はその場に応じて必要だと思う。だって自分に都合よく物事進めたいもん。

・「自分の主張や思考は自己完結するべき」
*哲学や美意識の側面に関しては同意。
けど、主張や思考が正しくないかもしれないから他人と議論や喧嘩をするわけで、必要に応じて自分の主張は戦わせるべきだと思う。
それによって自分の不足部分を理解できる。

・「人生のタスク」
→仕事、交友、愛のタスクをまとめて人生のタスクと呼んだ
行動面のタスク
→自立すること
→社会と調和して生きること
心理面のタスク
→わたしには能力があるという意識
→人々はわたしの仲間であるという意識

・愛は自然な状態にあって初めて実感できる。束縛はNG!

・口実を設けて人生のタスクを避けることを「人生の嘘」と呼んだ

・「承認欲求を否定する」
→承認欲求を求めるのは、賞罰教育によるもの。つまるところそれは、褒める人が居なければ、適切な行動が取れない人間になってしまう。

・「他者の期待を満たすのではなく、自分のために生きる。他者もまた、あなたの期待を満たす為に生きているのではない」
*本当の多様性ってこーいうことだと思う。

・「課題の分離」
→自分の課題と他者の課題を分離する。そして他者の課題には踏み込まない。
「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」
しかし、放任するのではない。
相手を知り、見守り、いつでも"援助"する準備があることを伝えること。
→「相手が思い通りに動いてくれないことを理解した上で、相手を信頼する」
→「自分の選択にどのような評価を下すかは、他者の課題であり、自分の課題ではない。」
*つまり、他人の評価なんか気にするな!たとえ嫌われたとしても。ってことだよね。
課題の分離こそ「嫌われる勇気」の本義。
→見返りに縛られてはいけない。あくまで、自分がどうするか、どう在るか。

*何というか、誰かが見てるから正しく在る。のではなく、自分が見てるから正しく在る。みたいな感覚かな?

・「自由とは、他者から嫌われることである」

・「対人関係のカードは自分が握っている」
→原因論ではなく、目的論に立った時、問題は自分が決心するか否かに委ねられる。
それはつまり、他者との関係をどうするかは自分が決めることが出来るということ。

・「共同体感覚」
→他者を仲間だとみなし、そこに自分の居場所があると感じられること
自己への執着を他者への関心と変えていく
他人の評価を気にしてばかりいる人ほど、自分にしか関心を持たない自己中心的な人。
→あなたは共同体の一部であり、中心ではない。
故に、積極的に共同体にコミットしていかなければならない。
ここで重要なのは、「わたしはなにを与えられるのか?」という視点で考えること。
*これは、僕も過去によく考えた課題の1つだったのですが、多くの人は特別与えられるものなんてないですよね。だから、視点を変えて「与えたいものは何なのか?」を考えるようになりました。
また、「与えている」という自覚は見返りと表裏一体なので、個人としてこだわりとか、美意識を磨くことが人間性に繋がると考えてるんですよね。
こだわりや美意識は自己完結なんで。
でも、美しい所作やおもてなし、気遣いは本人が意識してなくても、他者に何かしらを与えていることってあると思うんですよね。
なので、「与えられるもの」よりも「与えたいもの」(美意識、こだわり、気遣い)を意識した方がいいと考えます。

・「より大きな共同体の声を聞け!」
組織の中で上手くいかない時は、そこに固執する必要はない。
外にはもっと大きな世界が広がっている。
*複数の共同体(コミュニティ?)を持つのは大事だなぁって思います。
やはり、1つの組織に依存すると視野狭窄に陥りますし、逃げ場があるっていうメンタルは重要かなって思います。

・「叱ってはいけない、褒めてもいけない」
→子どもを含め、全ての人を対等に扱う

・「勇気付け」
→横の関係に基づく援助

・「人は褒められるほど、自分に能力がないという信念を形成する」
→評価ではなく、感謝。貢献している意識が、自らの価値を実感できる。

・他者を行為レベルではなく、存在レベルでの貢献を意識する。
→存在してるだけで価値がある。

・「自己受容」
→「肯定的な諦め」(変えられるものと変えられないものを明確にする)
「他者信頼」
→他者を信じるにあたって、一切の条件をつけない。
「他者貢献」
→誰かの役に立っている実感からくる自らの価値の認識

・「幸福とは貢献感である」

・「安直な優越性の追求」
→普通の状態を脱し、特別な存在であること。それは"良くある"ことも"悪くある"ことも本質的には同じ。

・「普通であることの勇気」
→ありのままの自分を認める。
*無理に理想像と重ねずに、今の自分が幸せになれることをすればいいってことかな?

・「人生は連続する刹那」
→今、この瞬間を生きる。今、この瞬間を充実させる。目的地は意識せず、今、この瞬間をダンスする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?