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【心の大掃除とインド式子育て思想としいたけウォーターと】

【心の大掃除とインド式子育て思想としいたけウォーターと】

仕事納めからずっと自分の心と向き合っていた2日間だった。結局考えれば考えるほどよくわからなくなった。現状を変えたいのなら事実を確認するしかないのでひとりで考えても仕方ない。でもたくさん考えて書いて読んでをしていたら、けっこう気が済んでしまったというのもあって。いい経験をしたな、と。
#心の大掃除

今回Vogueのしいたけ占いで有名なしいたけさんのnoteを単発でいくつか買った。初読時に買わなかった有料部分を今回買ったのは、今その情報が必要な時期が来たということなんだろう。
https://shiitakeofficial.com/n/n0f9b21913157?after_purchase=true

自分の手に余ることを決断する、というコストを払わずに物事を決めるために、〇〇になったら〇〇する、という方向性だけ定めることがある。相手の出方次第の成り行き任せ。でもどうしても決めなくてはいけないこと以外なんでもかんでも決めなくちゃと思うと疲れてしまう。今回はそれで答えが出た。
https://shiitakeofficial.com/n/n13420f91c129

事態が動いて受動的にとはいえ、今後のことは決まった。まぁ〇〇したら〜、の時点ですでに私の心は決まっていたのだろうと思う。決断の二段階右折みたいなものかな。優柔不断な人にはおすすめだな。〇〇したら〜という決め方。決断の二段階右折。相手の出方によって決める。相手がいいねしてきたら、とか挨拶を返したら、とかそういう感じ。人間関係の方向性を決める場合に、コインを投げるよりは精度が上がるのではと思う。

怒りを感じた相手と距離を取るというのは逃げではないのか?という碇シンジ的思考が頭をもたげたりするのだけど、怒り(嫌い)の種類で離れたい(支配されたくない)のか近づきたい(支配したい)のかによってだと思う。極端にならぬよう無意識の流れとわざと逆方向に動いてバランスを取る。

最初は離れたいと思ったけど、色々考えるうちに理論武装ができて、相手を「支配できるかも」という考えが頭をもたげてきた。いけないいけない。だから離れるのだ。あぶないから。気を抜くといつでも加害者にとって代わる自分の屁理屈があぶない。ちょっと気持ちを切り替えて歌でも作ろう。創作のパズルに没頭しよう。
https://shiitakeofficial.com/n/n327438b3e96c?after_purchase=true

創作はいい。脳内を暴れ回るエネルギーを使い果たしてくれるから。

結局自分で考えて自分で決める。私の脳内舞台は役者が少なくていつもシンプルだ。しいたけさんがいつも日記で自問自答し、日記と親友になっていろいろなことを乗り越えてきた、というのは私の世界との対峙の作法と似ている。あるいは世界と対峙せず永久に自分の脳内で生きて行くのかもしれない。

でも結局根本を考えてみればだれでもそうなのだ。触覚も、視覚も、触れ合っていると思っているのは脳を通してなのだし。しいたけさんも日記が友達だと書いていてすごく親近感があった。日記が相談相手になると、自分と親しくなる。

日記を介して、私はいつでも私の相談を受け止められる。頼りになる相談相手として、自分の悩みに応え、解決策を提案する。解決策が見つからない時は黙ってじっと一緒に悲しみを感じる。毎日毎日日記を書いていた時期を通して、私たちは親友になった。だからもう寂しくないのかもしれない。

「何か疑問に思ったこと、他人に聞けば3秒で回答が返ってくることを日記に聞けたから。バイトが終わった後にひとりで家に帰って、日記に書きながら考えることが毎日の日課になり、親友と話しているような気持ちになった」
共感がすごい。
#日記はトモダチ
#自分と親友になる
https://shiitakeofficial.com/n/n4c65c07be1f5

結局のところ、人の気持ちなんていくら考えてもわかりはしないし、他人は自分を映す鏡でしかない。私の側にわだかまりがある以上、何を言ってもやっても悪い方に受け取ったり気持ちが強張ったりしてしまうのは今後もあるだろう。でも実際に何も起こっていないので、結局ぐるぐるするのに疲れるだけなのだ。

田房さんの「嫌いな人が嫌いじゃなくなる方法」でもちょっと書いてあったけど。起こったことと受け取り方、想像していることを分けるのは大切で。現実になにも起こっていないなら、なにもする必要はないのだ。モヤモヤする内面のことは、内面で決着をつける。悩んだら親友(日記を介した自分)に相談したらいい。
https://twitter.com/tabusa/status/1473921053131145216?s=21

しいたけさんのnoteは、直接なにか役に立つことが書いてあるというよりは、ただ乾いた喉を潤してくれる水分みたいなもので。しっとりしたしいたけさんの文章を読んでいると、焦ったり悩んだりしているざわざわした気持ちが凪いで落ち着く。そうしたら、あとは自分でゆっくり考えられる。喉の渇きがある時にゆっくりものを考えるなんてできない。そういう時の水分みたいな言葉たち。困ったらまたゴクゴク飲もうと思う。

現実の大掃除はさっぱりやれておりません。年内のゴミ出しも締め切られてしまったし。まぁ別にそんなに困りはしない。大掃除がしたかったらもっとあったかい季節になってからゆっくりやったらいい。まぁ部屋は片付かなかったけれど、自分以外の人にこんなに関心を持って、いろいろ深く考えられた、こんな年の暮れがあってもいいなと思ったりする。
#心の大掃除

#Twitterで見かけたインドの子育て理論 。日本では子どもに「人に迷惑をかけることをしてはいけない」と教える。インドでは「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教える。似ているようで、全然ちがうよね。

迷惑を許さない子育てをされてきた人が、迷惑を許さない大人になり、迷惑を許さない社会ができあがる。

でもさ、どんな立派な人でも一生人に迷惑をかけないで生きて行くなんて無理なんだよ。お互いに無理なことを求め合うのは、つらい。
#ゆるしあう社会へ
https://twitter.com/masa_counselor/status/1113057585043714049?s=21

いや、なんでもかんでも許さなきゃいけない、ってことじゃなくて、ひどいことをされて心に穴が開いてしまったようなこととか、嫌だなと思うことがあってもいいのよ、もちろん。やらかしたときにこれは許されないことだな、という自覚も必要だし。ただ、ちょっとした「迷惑」、というレベルのものは許し合う方がいいなぁと思う。自分に対しても、周りに対しても、おたがいに、あたりまえに。

迷惑のない社会が誰にとって都合がいい社会なのか考えてみるとよくわかるんだけど、それって管理する側なのよ。家庭なら親、学校なら教師、社会なら為政者。民主主義じゃなくて全体主義の考え方なのよな。

弱いものに寄り添う、それを特定のひとりに押し付けることなく、構成メンバーみんなで少しずつ持ち合う、ということ。それをうまく塩梅する制度としての面と、それをあたりまえに受け容れるひとりひとりの思想の面と。両輪そろっての多様性のある民主主義(人権思想?)社会にしたいものだと思う。

まぁインドだってカースト制とかジェンダーの問題とか色々あって完璧じゃないけどさ。良いところは取り入れたらいいと思うのよな。

#今日のお歌 …【ぐるぐるのうた】サヨナラって言ったって頭をすげ替えるわけじゃなし昨日まで好きだったあなたをいきなり嫌いになれないし。https://youtu.be/WIjsoYW9ng0

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