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【秋の和歌~ほっこり選歌集④〜タマコ抜き古代編〜】

ハッピーポッキー👍(謎挨拶)昨日の朝日記が、タマコ(待賢門院璋子)への賛美が過ぎて他の歌を華麗にスルーしてしまったので改めて他の歌を解説(萌え語り)しよう…自分の多筆を自覚し、テーマを欲張らずまずは古代編に絞ろう、というのが今朝の日記の主旨です。

タマコを読み忘れた人は昨日の日記はコチラから(大幅加筆修正あり、後半こっちに移動した分、額田王の秋の歌はじめ額田王関連を数首を追加しました)

■ 秋の和歌~ほっこり選歌集③(←たぶん③)〜タマコだらけの西行と額田王古代編〜
https://note.com/kirakiramamama/n/na1457e909dc7

昨日の日記で友人から「文系こだわりびと」の称号をいただきました。光栄です。

和歌に興味のない人すみませぬ、今週はたぶんあと2〜3日は和歌和歌しい日記が続きます。まず今この頭にある萌えを外に出さないと…頭パーンてなるゆえ。(謎理論)

そして今朝もうそろそろ書き終わるというタイミングで三男がドンってぶつかってスインって指が滑ってだね…このページ自体を消してしまって…昨日の夜書きかけて保存した骨子部分以外の朝書き足したこの先の歌の解説部分がまるっと消えたんですよまるっと!!

へなへなと脱力…今日はチビ達の通う小学校の奉仕作業だったのでそれが済んでから2度目のご奉仕…つまりこの先の解説文を書くのは2回目になります。心して読んでください。(なにを?)


秋の菊 にほふかぎりは かざしてむ 花より先と しらぬわが身を
(古今・紀貫之)

秋の菊が美しく咲いている間は頭に飾ってみようか、花より先に死ぬかもしれない我が身であるけれど…

儚げに始まって最後は投げやりな感じです。もう2回目の解説を書いている今の私にぴったりの気分です。先のことなどしらんよ!なんなら運が悪けりゃこんな切り花が萎れるより先に死ぬよ!という。(違う)

貫之が身近な人を亡くした時にふと詠んだ歌なのだとか。秋ってただでさえ物悲しくなる季節なのに身近な人を亡くすのはキツイ…

平安時代は流行病で若くても急に亡くなることが多いので医療の発達した現代よりももっと明日は我が身な感じが強いと思われ…

かざし=挿頭で、草木を手折って冠や烏帽子に挿すこと。菊の花についた露から不老長寿を得る言い伝えがあるらしいけれど、身近な人の死に触れたことでなんだかそういう風習が虚しくなっちゃったんだろうね。そう、ふだんどんなに気をつけていてもふとしたはずみで長文日記が消える時は消えるように(違う)…

しらぬ、と白露をほんのり被せている。そこにしめやかに香る菊の花…技巧派の貫之らしい巧緻さの光る一首。


大空に あかぬ心の満ちぬれば 我が身のうちの月かとぞ見る
(万代和歌集・九条兼実)

→我が身のうちの月、って表現が意味深で好き。あかぬ心=飽かぬ心で、いくら月を見ても飽きることがない気持ちが心に満ちて、まるで自分の中の満たされた心が空に浮かんでいるようだ(意訳)というなんとも壮大な歌。

このご機嫌具合はこりゃーめっちゃお酒飲んでるな、杯の水面もまた満月に見えるんでしょうね、という。(個人の勝手な想像です)道長の欠けたることのなしと思へば、にも通ずるちょっと権力者の調子乗ったマウンティングの歌とも読める。

…ダメだ、2回目の解説はちょっと心がやさぐれでいるのでゲスな読みをしてしまう…1回目の純粋な解説を思い出すんだ…こんなマウンティングだの酒飲んでるだの感じ悪いことは書いてなかったはず…!!ぬうううううん(←思い出している)

ええと、初心に還るとですね…大空にポッカリと吸い込まれそうな丸い月。それを飽きることなく眺めていると、いつのまにか自分と月が一体になったような満たされた気持ちに…

これね、こういう感覚は私もなんとなく覚えがある。じっと無心にひたひたと見つめているうちに、対象と一体化するような不思議な感覚。こういう精神的な感覚をサラッと三十一文字で描くのもすごいし、その歌を高く評価して後世に残してる周りの人達もすごい。スピリチュアルが今よりももっと身近だったんだな平安は…駆け落ちしたお姫様がカジュアルに鬼に食われたりするものねぇ(伊勢物語)…

これ鬼の半分くらいは猟奇殺人隠蔽だったんじゃないかと…だとすると在原業平朝臣は心に鬼が巣食うシリアルキラーの可能性も…(流れ弾)…九条兼実どこ行った?

(やっぱダメだな解説の2周目は…分量2倍の上に着地点がおかしい。)


夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に こおろぎ鳴くも
(万葉・湯原王)

→こんな古代の人がまるで現代と同じ感覚を詠むことに感動する。湯原王はおおらかで率直な歌風が好き。前にも私の選歌で何かこの人のめでたい歌を選んだ覚えがあるけど(なんの歌かは忘れた)、この人もある娘との激しい恋の歌のやりとりが万葉集に9首も残ってる人。西行といい、湯原王といい、こんなSNSも無い時代に、赤裸々に恋の足跡が何百年も後世に残っちゃう和歌ってヤベェツールだなと思いました。

まず「しの=しみじみ、しんなり」という和語が好き。白露を置く、という表現が好き。最後のこおろぎ鳴くも、の「も」の余韻が好き。ということで好き祭りです湯原王。わりとこの人の感覚すんなり入ってくるのよな。変な技巧に走りすぎず素直でおおらかで気持ちいい。


夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里(千載和歌集・藤原俊成)

→百人一首にある、「夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く」(大納言経信)とどっちだっけ?となる歌。これ両方とも百人一首に入ってたら選手たちに超嫌がられただろうなーと思う。本歌取りというか、伊勢物語に由来があると言われる歌。時間がなくて解説はできないので各自ググられたし。

ちなみに鶉は「ウズラ」と読みまする。今回再編集にてちょっとだけ時間ができたので私のググったあやふやな記憶で追記すると、伊勢物語のある話の後日談として詠んだのだとか。ウズラって小さい体のわりに案外けたたましく鳴くらしく、去っていった男が村の外へ出ても聞こえる必要があるのでけたたましい方が良いのだとかなんとか。

深い草の奥にけたたましくなくウズラ、その辺のコントラストがおそらく定家・俊成親子の推奨した「物語性」ど「幽玄の美」というものなんでしょうなぁ…まだ私には浅学にしてイマイチ分からないけれど。

さて今回の秋の歌古代編の総括としては、春の歌に比べて秋の歌は物悲しくて物足りない、ってことかな…私は春とか初夏のワクワクする歌が好き!(台無し)

でもまぁ、「誰が見るんだこんなもん?」と若い頃不思議で仕方なかった「ぶらり途中下車の旅」や「サンデーモーニング」を毎週楽しく視聴できている今の自分を鑑みるに、あんなに美味しかったマックのポテトで胸焼けする自分を鑑みるに、そのうち「秋の歌」に心のチューニングが合う時節がやって来るのかもしれない。その日を楽しみにしておこうと思う。

明日は秋の現代和歌です👍


#写真とか…昨日の箱強奪犯(三男)は朝ウーバーイーツの配達員みたいになって出勤(登校)しました…欲張るから…。
https://twitter.com/kirakiramamama/status/1326453275445452802?s=21

#歌とか…今日の奉仕作業にちなんで…【しば犬のうた】。私の一番気に入っている替え歌です。名曲「雨に濡れても」のメロディーをお借りしました。
https://youtu.be/QP3aRj4HOTw

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