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言葉や思いはこだまになる。について。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。

そして、あとで さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
(金子みすゞ こだまでしょうか)

わかっていても、イライラしていたり
自分に余裕がない時
満たされていない時
ついつい、なにかにあたってしまう。

でも必ず後悔する。

若い頃それを繰り返す日々の中で、ある日ふと頭に浮かんできたのが

金子みすゞの「こだまでしょうか」

負の日々をかえたくて、形だけ、うわべだけでもいいから、こだまになっても後悔しない言葉や思いを発してみようって
そんな風にすごしてみた。

そこで感じたこと。

ほんとに  ”こだまだー!!” 
自分の発する言葉、接し方を変えるだけで考え方や気持ちが違ってくるし、相手の自分に対する目線やかけてくれる言葉も変わってくる。

思い通りに行かないなんて当たり前だし、幸せそうな人を羨んだりしても、その人が本当に幸せなのかなんて誰にもわからないんだよね。
相手の言動に憤りを感じたり不満を持っても、じゃぁ自分はその人にどんな風に接してたんだろう…相手を嫌な気待ちにさせてたのは自分の方かもしれない。
そう考えるだけで、見えるものが変わってきたりする。

人は完璧じゃないから、怒ったり不貞腐れたり理不尽なイライラもあるけど、だから「ごめんね」って言葉があるんだよね。
いい言葉だよね。

ありがとう ごめんね 。
ありがとう ごめんね。

それを繰り返すと、自然と 大好き が生まれてきたり、心が安定する。
なんか、幸せだよね。

うまくいかないことを全部誰かのせいにして、自分は悪くない。
自分の言うことやること全てにYesをくれるイエスマンだけを周りにおいて、「やっぱり自分は悪くない」と思う。
それじゃぁなにもかわらない。
イエスマンって そうだね って言ってくれるけど、こだまではないんだよね。

なにもかえってこない。ただそれだけ。
だから、なぜか満たされない。それなのに手放せない。笑えてるようで、後でなんとなく虚しくなる。実はなんの意味もなかった薬と同じ。

褒めてくれる
認めてくれる

それだけじゃなくて

自分の足りない所に気付かせてくれる
言い難い言葉をかけてくれる
一緒に戦ってくれて
一緒に考えてくれる

そんな人達は、こだまをくれる。
だから、自分がちゃんと見える。
自分もその人達のこだまになれる。

心のある思いや言葉って大切。
こだまを聞くって大切。

正論を聞くのではなくて こだまを聞いて、ダメな自分に気がつけて心からの ごめんねと ありがとう が言えたら、ほんの少しだけ気持ちが軽くなって前に向くかもね。
ダメな自分を丸ごと認めるって、ちゃんと自分と向き合えるってこと。
ダメを本当の意味で受け止められたら
心からの ごめん が言えて、安心して手をつなげたりする。

そして、心からのありがとうが言える。





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