ふちのない水、という表現が私の胸を打ち
訃報に接して「わたしをたばねないで」を再読した
とりわけ
ふちのない水、という表現が私の胸を打ち
「わたし」に「こまめにけりをつけないでください」「わたしは終わりのない文章」
詩であって凡庸な手紙ではない
ということばが胸に刺さりました
この詩が書かれた時代に社会に対して(も)送られたメッセージでもあったと思いますが
今この時代にはむしろ、自分自身に対して送るべきメッセージであると感じます。
社会がそうするのであれば社会を止めるべきです
いまなお止めるべき社会の暴力はなくなってはいません
一方で他人がそうしてくるのは他人を変えようとするよりは
自分で自分の人生に「こまめにけりをつけない」ようにするべきかなと。
そうして考えてみたときに
社会が善くなった時には、ひとはより自分自身と向きあえる、向き合わざるを得ないのかもしれません。
ここにかかれているような仕打ちを、自らにするひとの絶望的な多さよ。
社会が善くなってきたとき、その仕打ちをなすのは社会ではなく自分自身になる。
社会が善くなった時、私たちはより内向的になる