花や善し。

たまたま華道展へ誘われました。
意外と楽しめました。
やっぱり力量を感じるのはお生花です

ふわふわとした「自称創造性」がやはり飛び交って華やかさを添える中、
お生花というのは一定の制約の中で高い技術力が要求されます

「私の感受性ってこうなの!さけんじゃう」みたいな作品の中で、「制約の中で確かな技術力を背景になおかつ創造性を感じさせる」お生花の存在感は際立ちました。

展示会にお生花だせるひとはとても上の人なんだろうけど。
華道の制約がいらないならフラワーアレンジメントすればいいんだよね、と私は思っています。
フラワーアレンジメントを下に見ているのではありません
私自身両方やってみて「違い」は当たり前だがある
華道のすばらしさ
フラワーアレンジメントのすばらしさを経験したうえで
華道をフラワーアレンジメントっぽくやってみることに価値はないと私は感じたのです

(下手に)融合を図るよりはそれぞれを尊重して楽しんだほうがずっと意味があると考えます。
いや融合させてもいいんだけど中途半端なのよ。
それぞれに深みというものがあるので
融合に、それぞれにふさわしい深みが与えられないのであればそれは中途半端な安物になってしまう。
だったらあなたが脱却しようとしたであろう魂の抜けた伝統文化の陳腐さと何が違うんですか?

安易に型を外せば「型なしになる」とは人口に膾炙しますがそのとおり。
様式が際立たせる創造性や自由な表現についてちょっと考える機会になりました。

とにかく会場を埋める花の美しさよ。
そしてたくさんいる先生たちの着付けの風情の美しさよ。
私のお花の先生ももう亡くなったけれど
ざくざくに着ているのに曰く言い難い風情がありました
それ以前にどうしてあの着方で着崩れないのか

会場にもざくざくに着ているのに端正さを漂わせた先生たちがたくさんいました
年に数回いい着物を慌てて着付けてもらったのでは絶対に身につかない風情でため息が出ました

花や善し。

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