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ゲームの会社を作りました、の余談

 元々ここのnoteは、Twitterで書くには長すぎる話を書こう作ったものだったのですが、結局書いたのがゼノブレイドDEの感想文のみで、しかも2年前に書いたきり何もしていませんでした。で、改めて何か書こうという機会になったら、もうTwitterがXになって世の中もだいぶ変わって、なんか改めて書くのがちょっと恥ずかしい状況になってきたのですが、まあいいや。書きます。

 おじさんの年齢は48歳なのですが、このぐらいの年齢の人、特に男性は、幼少期からゲームの進化を直撃で受けてきた、まさにゲームと共に成長してきた世代なんですね。僕もその例に漏れず、幼稚園の頃にappleII、小学校の頃にMSXとファミコン、中学校でPC9801とスーファミと山ほどのゲームハードと、常にゲームが近くにある生活を送ってきました。ラノベもマンガもアニメも、みんな当然のように好きでしたが、ゲームは常に、その中心から動きませんでした。

 こういう人間が、高校を卒業する頃になると何を思うかというと、そらもう当然のように「ゲームを作る仕事がしたい」と考えるわけですね。
 当時、ファミ通の表2(表紙の裏側のとこ)広告なんかで、よくスクウェア(現スクウェア・エニックス)の求人広告とかが載ってたんです。当時のスクウェアなんか、もうゲームが好きな高校生にとっては神みたいなものでしたから、記念受験的なノリで履歴書を送ってみようかと考えたりもしていました。

 しかし、当時の僕は変なところで現実的で、福岡の片田舎の、特にスキルもない高校生風情があんな大メーカーに履歴書を送ったところで、歯牙にもかけられないだろうと、勝手に判断して逃げてしまったんですね。それで、なんかスキルが身につけられる学校はないだろうかと、専門学校のパンフなんかを取り寄せたりしてあれこれ見比べていたんですが、親から「行くなら大学にしなさい」と言われて選んだのが芸大で、それで通うこととなったわけです。

 で、実際に芸大に通う中で、段々と現実と自分の状況が見えてくるんですね。何のスキルもセンスもアイデアもなく、ただゲームが好きだというだけの自分が、たとえ何年経とうがゲーム会社に入れるわけがないという。先輩なんかで就職に成功した人なんかは、スキルもあって人格面も優れていて、とてもじゃないけどああはなれないな、って人ばかりで、学年が上がるにつれて、どんどん卑屈になっていくわけです。夢は夢のままにしておいた方がいい、下手に履歴書なんか送ろうものなら、現実を突きつけられて悲しくなるだけだと思うようになったのです。こうして大学の4年間を過ごす内に、ゲーム業界へ行きたいという夢はすっかり収まって、当時堅実で求人も多かった広告業界へと進んでデザイナーになりました。

 その後、色々あって部分的にゲームの世界に触れることになったり、なんならクリエイターの方と直接絡むこともあったりしましたが、やはりどこか卑屈な思いが抜けなかったのでしょうね、僕はあえて避けるようにして、ゲームの世界で仕事をすることを選びませんでした。美少女ゲームという、ゲーム業界に近くて遠い世界で働くことになった時も、心のどこかでは「あの世界とは別物」として(まあ実際にそうだったんですが)、割り切っていたところがありました。そうやって壁の向こうに居続けないと、真正面から向き合ってボロが出た時、何もできなくなるんじゃないかと恐れていました。そうやって、5年経ち10年経ち、気がつけば20年が経って、どこに出しても恥ずかしいおじさんが仕上がったところで、転機が訪れたのです。

 昨年の春、丸6年続けていたライトノベルの執筆が終わりました。デザインの仕事も、会社の代表職を後進に譲ることになり、ひさしぶりに時間の余裕ができました。ずっと飼いたかった猫をお迎えして手足を引っ掻かれながら、僕はここで大量の時間を、ずっと溜め込んでいたゲームプレイに「溺れるぐらい」費やしました。

 それがもう、楽しくて楽しくて。なんでリアタイでやらなかったんだろうって後悔するものもあれば、今だからこそこんなに楽しめるんだろうなって思う作品もあったりして、次から次へと「寝るかゲームするか」みたいな生活を、なんだかんだ半年近く続けたんですね。

 そして、十数本目の積みゲーが終わり、ちょっと一段落したところで、深夜、急に涙が出てきたんです。僕はなにかというとすぐに感動して泣いてしまう、需要の欠片も無い泣き虫おじさんなのですが、生まれて初めて「ゲームが楽しすぎて」泣いたんですね。キショい話ですが。

 で、泣いた後に無性に腹が立ちまして。どうして僕は、あんなに好きだったゲームに、この年齢になるまで一度も向き合ってこなかったんだろうって。今、目の前にあるこのおもしろいゲームたちは、ひょっとしたら、自分が関わったものであったかもしれないのに、その可能性を全部捨ててきたくせに、何をプレイして素直に感動しとんねん、って。

 これまで関わってきた、グラフィックデザインも広告も美少女ゲームもライトノベルもアニメも、もちろんすべてに強い思い入れがありますし、全力で向き合ってきたことは間違いないです。
 だけど、幼少期に生まれて初めて触れた「人生最初のエンタメ」であるゲームに、半世紀近くの間、離れたところから見続けるだけだったというのは、改めて考えるとやはり不誠実だったように感じたのです。

 奇しくも、僕が去年まで書いていたライトノベルは、エンタメ業界を舞台にした作品でした。その終盤、主人公はいったん業界を離れながらも、「何かを始めるのに遅いということは無い」と、再び戻ってくるシーンがありました。そんな展開を情念を込めて書いておきながら、当の作者が始めることから逃げ回っているなんて、あまりにも格好悪い話です。

 幸か不幸か、独身な上に働きづめだったこともあって、貯金は多少ありました。高校生の時、あきらめて背を向けた時と違って、今はそれなりにスキルも身につきましたし、優れたクリエイターたちともたくさん知り合いました。やるなら今しかない。決めたあとすぐに動きました。信頼のおける友人たちに電話をかけました。ゲーム会社を作ることにしました、と。こうして、48歳のおじさんはゲーム会社を立ち上げたのです。

 第1作はすでに作り始めています。
 そして3作目までは、何をしたいかは大体決めています。会社のモットーは、陳腐ではありますが「わかりやすくて、おもしろいゲームを作る」です。夏頃に第1作を発表する予定で進めていますので、このnoteを読んで少しでも興味をお持ちになった方は、よろしければ触れてみてください。

 後悔はさせません。させないように作ります。
 『メシードソフトウェア』、何卒よろしくお願いいたします。