「人並みといふこと」読書メモ
雑誌で本の存在を知り、図書館で借りて、届いて、2時間ぐらいでさらっと読んで、ちょっといいなと思ったところをメモします。
読んだ本はこれです。
短編エッセイ集ですが、その中でちょっと面白かった、タイトル、中身はこんなのです。
・大人になったらトモダチなんかいらない
・お金持ちは尊敬しなくていいわけ
・人は独楽(コマ)
・シアワセは瞬間
特に、人はコマという部分は共感できる部分もありました。
人は独楽(コマ)
なぜコマかっていうと、つまり「回ってないと倒れちゃう」ってこと。
仕事でも恋愛でも趣味でも、さしあたり何かに振り回されてないと、やってけない。コマが止まっていざ「自分」とむきあうと、そこには何の意味もなくて、その「虚無感」に耐えられなくて倒れちゃう感じ。
コマが倒れないためのもうひとつの方法、回る以外に助かる方法、それが「つっかえ棒」で「つっかえ棒」というのは神様だとか、宗教だと思っていた。
なるほど、想像しやすい。
回っていなとと倒れちゃう、その回るためのエネルギーが、仕事であったり、お金であったり、家族であったり、子供であったり、その他自分の大事にしているものなんだと思います。
回るのに疲れて、立てなくなった時によりかかるのが神様とか宗教とか、というのもわかりやすい。
回り続けているのも疲れてしまうのかもしれないけど、いざ立ち止まって自分を振り返るとナニもない、そうなってしまうと仕事や今の状態に忙殺されている方がマシというのもあるのかもしれないです。
人生をコマと考えると、なるほどなー、と。
シアワセは瞬間
シアワセってのはきっと「金持ち」とか「健康」とかいう「状態」じゃなくて、もっとなにか、そのときそのときの「瞬間」なのかもしれないね。
シアワセはそれを感じる心で全然違うってことだよね。
同じおいしいものを食べてても、腹一杯の人とお腹ペコペコの人じゃ全然シアワセ度合いが違うでしょ。僕は「シアワセ」が感じる心の問題だとしたら、ほんのちょっとのことで「シアワセ」を感じられる、言ってみれば燃費のいい心が欲しいな。
「空がきれいだ」「水が美味しい」「あの人と会えた」「彼が笑った」「とてもいい風が吹いた」そんなさもないことでシアワセを感じられたら毎日が楽しいだろうに。
いいですね、燃費のいい心。
老子も、万物は移ろうとしても、美の一瞬は過ぎゆく流れの中で捉えることが可能であり、そうした一瞬一瞬を愛でるところに人生の知恵があると教えています。
なぜか今の状態がまだまだ足りない、もっともっとと思わされるようなそんな社会の気がします。
もっと日々の、ちょっとしたこと、そうしたことに感動でき、幸せを感じられる、そんな素敵な心に自然となれると良いと感じます。
まだ自然には思えないので、あえて、何がよかったのか、意識して振り返りながら、身につけていきたいです。
今日は、
「朝からスタバで外の席で空気が気持ちよかった」
「隣に住んでいる友達が犬の散歩をしていて、話せて、犬と遊べた」
「蝶々を追いかけている3歳ぐらいの子供がいた、かわいかった」
「お昼の冷やし中華が美味しかった」
そして、これからはジムに行って、運動したあとのサウナと水風呂が楽しみ。
あ、この目の前の幸せを書き出すのって、すごくいいかも。
生きているだけでシアワセ。ぐらいの燃費の良さを目指してみたい。
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