「幸せをつかむ戦略」読書メモ

そんなに面白くなかったかな、、、
対談形式での本ですが、一貫したストーリーというよりは、いくつかのテーマに沿って対談していっていますが、「幸せをつかむ」というテーマから想像するのとは少し違う話題の方が多いように感じました。

ただ、新たな気づきや、なるほど!という点はあったので、そこを中心にメモします。

所得や学歴よりも、「自己決定」が幸福感に強い影響を与えている。
「幸福感と自己決定ー日本における実証研究」
所得、学歴、自己決定、健康、人間関係の5つで幸福感との相関を分析したところ、健康、人間関係に次ぐ要因として自己決定があった。

幸福の順位が、健康>人間関係>自己決定>所得や学歴ということですね。

快楽主義のエピクロスが幸福については、身体的に苦痛を感じることがなく、精神的に不安がない静かな状態であること、といっています。健康(定義によりますが)でいることは幸福の重要なファクターですね。失うと本当に感じるものですね。

人間関係については、アドラーが「すべての悩みは対人関係の悩みである」ともいうぐらい、大きく影響するものなのですね。順調であれば幸せだし、人間関係がうまくいかないと幸福感が落ちてくる。。。

そのあとに、自己決定、ここでは自主性(オートノミー)と言っています。
どれだけ、自主性を持って生きれているのか、仕事をできているのか、消費をできているのか、などが幸福とつながってくる。と。
ちょっと古い日本の教育や、古い会社で育ってきた人は、自主性とか結構難しい気もしますし、それが日本人の幸福感が低いとも関連しているのでしょうか。

所得や学歴が低いのは、そうでしょうね。
所得は年収75,000ドルぐらいまでが幸福度と相関して、それ以上増えても幸福度は増さないなどの情報もありますね。さすがにある程度は必要だけど、それ以上増えても、ということですね。学歴はいよいよ関係なくなっている気もしますが、古い人ほど、気にしている人の割合が多い気がします。

消費に対する「自主性」がどれほどあるのか?

どれだけ考えて買っているのか、リコメンドにつられて買っていないか、その消費の先に生産者をイメージするとか、地元の応援したい店から買うとか、無意識に消費していないか、チェックしよう、と。

私たちは物事に慣れるというとてつもなく大きな能力を持っている。

良くも悪くもそうですね。正常性バイアス。
なので、贅沢な暮らしをしても慣れてしまって幸福感は増えない、一方で、怪我などで不自由になっても、慣れてきてそこまで幸福度は落ちない。この能力をうまく使いたいですね。
やはり、足るを知る者は富む。この言葉がこれからの日本では大事でしょう。

Fear Of Missing Out(FOMO)
SNSではすべての人が自分のことを過度にポジティブに描きだしている。
そのため、すべての人が自分よりも幸せだと考えるバイアスがある、ということ。

フォーモーって言うらしいですね。隣の芝生は青い、てやつですね。
SNSは本当に自分を律しながら使わないと、逆に不幸になるツールですね、これ小学校ぐらいで教育しておかないと、子供には、、、

幸福のタイプ
タイプ1、睡眠欲、食欲、性欲など人間の根源的な欲求が満たされることによる幸せ。損得で考えたときに、得が増大する幸せ。
タイプ2、他者と関係を築くことによる幸せ。困難なことを達成する幸せ。

タイプ1が短期的な幸福で、マズローで言う、下位の欲求ですね。
タイプ2が自己実現欲求とか、承認欲求とかでしょうか。ただ、承認欲求は気をつけないと振り回される。困難なことを達成する幸せの例として、マラソンなんかを上げてます。チームで困難なプロジェクトを達成したときなんかも幸福を感じますね。

意味というものは他人の効用を良い意味で自分自身の効用に組み込むことから生じる。
継続性という感覚があり、社会にどう思われているのか、という意識がある。自分の死後に存在する建物に寄付をする、とか。継続性の感覚がある。

タイプ2の幸福ですが、人の幸せが自分の幸せ。利他が結局は自分の幸福に繋がるなど。これも人間に良い能力ですね。未来の人のために。とか。
地球温暖化問題とか、借金を将来世代に先送りとか、この力が少し弱くなってきているのでしょうか、将来の他人よりも今の自分を優先する。まあ、、、そりゃゆとりがないとそうなるよね、、、

私たちには一部の人を取り出し、自分の共同体から切り離し、人間らしくない存在と見なす傾向がある。ルワンダでは敵対する人をゴキブリと呼んだ、ナチスのやり方もそう。
人を分断して人間性が低い存在として扱うと私たちは相手を思いやる能力を失っていく。

これは本当に気をつけないと。ポピュリズムの先には、こういった思いやりの欠如から、他者の排除につながって、争いになってしまいそう。

私たち人間には、他者を自分ごととできる素晴らしい能力も、他者を思いやらない能力もある、と考えると、いかに自分の中での道徳心や、倫理観などをしっかり持って、善い自分でいることを維持できるかは大事ですね。

善玉菌も悪玉菌も日和見菌もあって、善玉菌優位だと日和見菌は善玉菌に変わりますし、悪玉菌優位だと日和見菌は悪玉菌に変わるそうなので、それと似てますね。善い心も悪い心も持っている中で、どう善い心が優位な状況を作れるか。

良かれ悪しかれ、実際の消費と一緒に意味も消費する。
意味は体験を強める。
意味を強めると、価値も高くなる。
意味は差異である。

消費は記号であり、他人との差異を作るものとすると、どれだけ意味をモノやコトに付けられるのか、その意味は、浅いものなのか、自分の信念から出てくるような強い意味なのか、はすべての商売を考える上で大事だと思います。

人間には「努力に値段をつける」という生まれながらの本能がある。

確かに、、地球のため、世界のため、他人のため、といったことを本気で想って、それに全精力を注いでいるような人は魅力的ですし、応援したくなるし、結果商売もうまくいく、という時代ですよねえ、、

人は現在の自分が10年前の自分と大きく変わったと思う一方で、
10年後の自分はそれほど変わらないと思っている。

確かにー!!そう思っている。という時点で、自分の限界を作ってしまっているということか、、、

行動心理学、行動経済学の専門家の対談なので、これらをビジネスにどう使うか、という視点もありますし、うまく使えるのでしょうが、やっぱりその元には、どうしたいのか?他人のために、とか、そういった大いなる動機?とか信念とかが必要な時代なんだなあ、とも感じます。

儲けたい!→行動心理学のスキル使って売る→儲かったとしてもその先は幸せ?

○○のためにこれ広めたい!→行動心理学のスキル活用→自分の想いが広まるって幸せアップ、結果として儲かりもする。

今回の気づきを今後にも活かしていきたいです。

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