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「差異」と「ルサンチマン 」と「他人との比較」

私たちは資本主義社会を生きています。(いきなりすみません)
資本主義社会では、より多くを生産して、より多くを消費することで循環しています、ただ、地球環境の限界を感じる今日この頃において、どう資本主義と向き合っていくのか?ということは重要なことだと感じています。
その中で振り回されずに生きていくにはどうしたらよいのか?について考えてみました。

「差異」「ルサンチマン 」「他人との比較」

これらのキーワードを自分に当てはめて考えていくことで、少し客観視して自分が見れて、楽になるんじゃないかと思っています。

他人との差異を示すためのファッション、インテリア、自動車からメディア、教養、娯楽、余暇、美しさ・健康への強迫観念、セックス、疲労、暴力・非暴力まで――すべては消費される「記号」にすぎない。

消費は全て、他人との差異を示すための記号である。との指摘は自分自身に当てはめてもそうなんだな、、、と感じます。。

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いつの時代も、特権階級と貧困層というのは一定の割合でいて、完全な平等というのは実現したことがありません。
日本で一億総中流と呼ばれていた時代においては、日本国内では比較的差異は少なかったかもしれませんが、先進国と途上国という括りにおいては大きい差異がありました。

そして、お金での差別化が難しくなってくると、文化とか教養などで差別化をしていきます。
階級がある程度あった時代では、ハイブランドなどを持つのは、お金だけではなく、そういった振る舞いやそういった階級の人ではないと持てなかったらしいです。

ただ、現代においては、お金があれば何でも買える、というようになってきています。成金のような人が、いわゆる特権階級の人と同じようなアイテムを持つことができます。

そうなると、特権階級の人は、成金と同じ層にいると思われたくないから、お金以外のもので差異化を行おうとします。
それが文化的な教養であったりと、お金では買えないもので、さらに一朝一夕では身に付けられないようなもの、となっていきます。

ハリウッドセレブがエコカーに乗ったり、ヴィーガンになっていったりするのも、差異化の一貫だと思います。
昔は、高級車がステータスだったけど、成金も買えちゃうから自分は環境意識の高いエコカーに乗って差異化する。高級ステーキじゃなくて、地球環境に配慮する(という差異化)でのヴィーガンになる、などです。

消費というものが、他人との差異化を図る記号であるという視点を持っていると、自分が何かを買う時などにも、一歩引いて考えると面白いです。

フィットネスなどは、健康的で美しい体を作ることで差異化しますし、美容関係も、若さを維持することでの差異化や、教養流行りなども、教養があることで教養がない人との差異化、など、むしろお金だけではすぐに手に入れられないものでの差異化を図るのが最近の消費の傾向だと感じます。

外面での差異化が難しくなってくると、内面での差異化を目指しているのが現代の消費の主流で、いわゆる「単なるモノ消費」→「コト消費」→「物語の付随したモノ消費」となっている気がします。

では、なぜ、そもそも他人との差異化を図りたいのでしょうか?

これは、
①人類というものが、他人と協力しながら生き残ってきた。
②生物学的な優位性を示したい(遺伝子を残すため)。

の2点に集約されるのではないかと思っています。
人類はサバンナ時代でも、単体でマンモスなどを獲ることはできずに、協力しながら生き残ってきました。ライオンや他の動物よりも弱い中で人類が生き残ってこれたのは、お互いにコミュニケーションを取れて、協力することができたことが大きな要因です。(人類>その他の生き物)

もう1つは人類内での生き残り争いです。
原始時代は腕っぷしの強い個体が遺伝子を残せて、近代になるにつれて、経済的な強さがある人がより多くの遺伝子を残せるようになりました。
結局、他人との比較をする、というのは非常に本能的なものだと感じます。

「他人との比較をしない」というのは、自己啓発本や古典などでも多く出てきます。逆に言うと、それぐらい言わないと比較しちゃうものなのでしょう、、、

本能的に他人と比較(優劣を比べる)するのを理性的に比較しないように抑える、というものなのだと思います。

そのため、比較しないように努力するのはやった方がよいと思いますが、どうしても比較しちゃうものはしちゃうんだよ、、、ぐらいで諦めるのもアリだとは思います(聖人などはそういったものを超越できそうな気もしますが、、)

では、どうしても他人と比較してしまう、それによって、劣等感や辛い思いをしてしまう、という時にどうするのか?
ルサンチマン を知っておくと、ああ、なるほど!と思えます。

ルサンチマン 
主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことをいう。-wikipediaより

やっかみとか、嫉妬といった妬み嫉みですね。
こういった感情を持ってしまうのが大多数の凡人の人だと思います。僕もいくらでも出てきます。聖人や修行した人はこういったのなくなるんでしょうか、、、

そして、このルサンチマン を解消するには、原理的には2つしかありません。

①ルサンチマンの原因となる価値基準に隷属、服従する。
②ルサンチマンの原因となる価値判断を転倒させる。

①の方は、例えばブランドバッグを持っている人に対して、ルサンチマン が出てきます。(きーーシャネル羨ましい!)そうなると、自分も頑張って稼いでシャネルを手に入れることでルサンチマン を解消します。同じ軸で解消していきます。

もう1つの②は、「シャネルなんて、今時ダサい!今の時代はノーブランドのエコバッグの方がお洒落なんだよ!」とすることで、シャネルと同じ軸では勝負せず、他の軸で判断することで溜飲を下げていきます。

面白いですね、弱者の溜飲の下げ方ですが、思い当たる節、あります。

昔ママ友のマウンティングだらけのドラマを面白くみていましたが、高層階の方が高いので、ヒエラルキーがあったのですが、2階に住んでいる人が、高層階の人に言い訳のように「ウチは主人が地面に近い方が安心するので、あえて2階なんです(決して高いから買えなかったんじゃないの、買わなかったの)」みたいなシーンがあって、まさにルサンチマン での価値判断を転倒させることでの解消だな、と思いました。

キリスト教などもそういったルサンチマン から生まれたとニーチェは言っていますね。
階級が違っていて、貧者はどうあがいても上の階級に上がれない(同じ価値判断で隷属、服従してもルサンチマン が解消できない)
そうなると、今が辛くても天国では幸せになれる、現世の特権階級は地獄に落ちる。というものが出てくると、現世という軸では勝負せず、天国というものによって、ルサンチマン を解消していく、、、面白いですね。

この「消費とは差異」「他人との比較」「ルサンチマン 」というのを知っていると、自分の消費行動などを一歩引いて客観視することができ、振り回されないで生活することもできると思います。

自分ごとして振り返ってみると、僕は、お金もある程度欲しいし、嫌な仕事はしたくないし、かといって世の中にとって良いと思われる仕事もしたいし(良いことしてるね!と思われたい)、でも自分を犠牲にして世の中のために!と思えるほど頑張りたくないし、、、という割と凡人メンタルをしっかり持っています。

最近の自分の小さな例として、、、
・妻がインスタで、すんごい豪邸やセレブライフを伝えてくる。
→頑張って稼いで同じライフスタイルでのルサンチマン 解消(無理)
→「そんな豪邸、悪事重ねて建てたんだよ(根拠ゼロの誹謗)」
「広いとエコじゃないよね、この温暖化の時代に(知らないくせに)」
「気軽に引越しとかできなさそう、掃除大変そう(たぶん気軽に引っ越せるし、掃除は他の人がやってる)」
という価値基準を転倒させる形でのルサンチマン 解消。

・マイボトルやマイストローを買ったことについて
→「自分は地球環境に優しい人ですよ」という部分で、そうじゃない人との差異化を行って優越感に浸っている。意識高い系じゃない、意識が高いんだ!

・最近流行りのワーケーションで海でPC1つで仕事をしている画像を見て。
→いわゆる、社畜(もう古い?)の人に対するマウンティング(差異化)だけど、実際は風強かったり、ネットワーク不安定だったり、日差し強かったりと、オフィスの方が快適に仕事できる(僕も会社辞めた後はしばらくスタバ&Macスタイルでオサレぶってましたが、シェアオフィスとか家の方がよっぽど仕事やりやすい、、、)
→一部の有名人(ハワイでデュアルライフしている人とか)に対するルサンチマン を解消するために、同じ価値基準での服従だな、と。(僕もやってましたし)

とか、消費行動などを全て分析していくと、これらの差異化、ルサンチマン 、他人との比較、というのに大体落ち着くんじゃないかと思います。

こんなことを考えていたりすると、結構自分がアホらしく思えてきたり、妙に消費意欲が消えたりもします。

うまいこと使ってみてください、「差異化」「ルサンチマン 」「他人との比較」。

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